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「800字文学館」

シケモクとスキンヘッド

川口 ひろ子

 昭和20年8月15日、私はかろうじて空襲を免れた静岡県富士市の国民学校2年生で、ここで玉音放送を聞いた。食糧はおろか何もかも不足していたが、空襲警報におびえ、茶畑に逃げ込む毎日とはお別れだ。嬉しかった。

 父母、弟と私、我が家は4人、1台のラジオを囲み午後7時のニュースを聞き、その後父親のニュース解説を聞くのが日課となった。
 この父はヘビースモーカーで、よくシケモクをしていた。火鉢の灰に捨てた吸い殻を拾って巻紙をはがし、中のたばこの葉を集めて再利用するのだ。
 新しい巻紙は英語の辞書だ。勢いよくページを破り、その上にこの葉を並べ、海苔巻きの要領で包み、端を舌で舐めると、煙草1本の出来上がりだ。
「止めて! 辞書がかわいそう」。私は叫びたい気持ちをぐっとこらえて、いつも、この光景を眺めていた。

 そんなある日、父の友人が訪ねてきた。満州から引き揚げて来たという。同行の奥さんは丸坊主だ。ロシア兵に襲われる危険があったので男の姿をしているのだという。「御苦労さま。大変でしたね」とばかりその夜は2階に泊まってもらったが、翌朝大騒ぎになった。もぬけの殻だ。その上、床の間の掛け軸や置物、花瓶、等がなくなっている。
 このご夫婦、我が家以外にもあちこちの知人宅で「もぬけの殻」を演じていたようだ。後日、訪ねて来た警官に、父は「実は我が家も被害者でして」と答えていた。青々としたスキンヘッドに家中が驚いたが、良く考えれば、あれは同情を狙った演出だったのかもしれない。
 近所で宿屋を営むTさんも、同様の出来事を話してくれた。前夜の泊り客は早朝に出発したようだ。気がつくと、玄関の履物が全部なくなっていたという。この時代、履きふるした下駄や靴でも、闇市に並べれば結構な売り物になったのだ。

 断捨離やごみ屋敷が話題になる現代とは大違い。70年前の日本は、敗戦で多くを失い、庭に南瓜、校庭に芋を植えて、必死に生きた時代であった。

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