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「800字文学館」

島国国家と二足の草鞋

首藤 静夫

 フランス(以下仏)のノルマンジー公がイングランド(以下便宜上英国)に侵攻し、新王朝を樹立したのが1066年。それ以来英国は、このノルマン朝とそれを嗣いだプランタジネット朝に4百年もの間支配される。文化的にみても、例えば英語の語彙の半分は仏語由来だ。英国といえばアングロサクソンが代名詞であるが、この王朝はその以前のわずか2百年のことでしかない。
 プランタジネット朝は仏国の1公爵が英国王を兼ねるという奇妙な支配形態だった。メインはもちろん仏国で、当時の英国は文明から遠く離れた小島でしかなかった。公爵家は仏の地で王家をもしのぐ広大で、豊かな領地を経営していたからこれは致し方がない。
 しかし、二足の草鞋の難しさ、仏領の方は仏王家に徐々に蚕食され、百年戦争後は大陸から締め出されてしまった。
 ところが、旧領地をあきらめ島国経営に集中した結果、どの王国よりも早く歴史的発展を遂げたのは周知の通りである。

 江上波夫著『騎馬民族国家』を読みながら、そのことを思い浮かべた。
 氏によると、東北アジアの騎馬民族が朝鮮半島南部までを支配し、倭国への侵攻を企てたとき、その拠点が任那だった。騎馬民族はここを拠点にして4世紀初めに北部九州を制圧、倭韓連合国を成立させたという。倭王となった征服者が任那にこだわったのは、ここが彼らの故地であり、同胞が住んでいたからなのだ。
 征服者は倭国平定や半島での軍事衝突などで「寧処に遑(いとま)あらず・・・」の状態だったようだ。
 倭韓連合体の王が倭国だけの天皇に専念するのは、白村江で完敗し朝鮮半島から撤退して日本島だけになった天智帝以降という。ちなみに「日本」の国名も天智時代に定められた。これ以後は半島と一線を画し、近江令・大宝律令などによる律令国家体制、大仏建立・戒壇院設置など仏教による鎮護体制により、国家の体裁が急速に整っていく。
 東西の島国に期せずして生まれた歴史の類似性を面白いと思う。

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