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「800字文学館」

天武天皇の謎

首藤 静夫

 明日香村を訪れたときのことだ。最寄り駅からほど近くに天武・持統天皇陵の案内板が見えた。心はずませ赴いたが、正直、田舎の八幡様のようだった。田畑の中に低い丘があり、その上に鎮守の森があり、古びた御陵がある。周囲から丸見えだ。近くの欽明天皇陵の荘厳神秘さに比べ落差を感じた。
 ところで京都の泉涌寺(せんにゅうじ)は皇室の菩提寺だ。歴代天皇の御尊牌が安置されている。桓武帝以降はだいたい揃っているという。しかるに桓武以前はその父君の光仁帝と直系祖先の天智帝の2帝のみ。天智の次の天武から称徳までいわゆる天武系8代の分はないという。
 神式も同様で、天皇陵への奉幣が天武系に対しては行われていない。いずれも以前紹介した歴史家・小林惠子(やすこ)氏の発見と、ある本で紹介されている。
 皇室では神式も仏式も天武系にはお祈りを捧げていないのか。明日香村の御陵の印象は気のせいとばかりではないようだ。

 天智の弟、大海人皇子は壬申の乱で天智の嫡子、大友皇子を敗死させ自分が即位した(天武帝)。しかし、これは身内の争いではないか。
 小林氏はそうではないと言う。天武はそれまでの王朝から皇位を奪い新王朝を建てたのだと。天智と天武は異父かまたは赤の他人という。賛同する研究者もいる。桓武が天智以前の皇位を奇跡的に取り戻し、天武系に対して今日まで復讐をしているようなのだ。
 ところで天武は兄帝より4歳年長という説がある。日本書紀では、天武のみ生年が空欄で没年の記載のみだ。後世の史料で没年齢が65歳とあるのを発見した研究者が逆算して兄帝より年長だと唱えた。これに対し高名な先生が56歳の書き間違いだと主張、これが学会の有力説だそうな。
 天智は自分の娘を4人、天武に嫁がせている。持統もその一人だ。まるで人質のようだ。
 最近、在野の研究者が発見したり仮設を述べ、権威筋が火消しに回り、あるいは無視する構図が目立つ。お偉い先生方も本当は思いきった発言をしたいのではないだろうか。

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