父と桜
今年の花は淋しい。靖国や千鳥ヶ淵には屋台の賑わいもなく、上野公園では提灯もともらない中を、人々が黒い影になって粛々と歩いているという。
父が亡くなったのは20年近く前になる。《願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ》と、好きな西行の歌の通りにはいかなかったが、その年の花を見ることはできた。病状末期ながら小康を得て帰宅していた父を、なぜか私は見舞いに行こうとしなかった。弱り果てた姿を見たくない。娘にとって父はいつまでも頑健で威勢のよい働き者だ。
近くの公園で咲いた桜を、周りの目を盗んで一枝折り取ってみる。すると、父は花見をしただろうかと気になって、桜の枝を新聞紙にくるんで実家に出かけた。父は膝掛けをして深々と椅子に座っていた。まぎれもない病人がそこにいる。俯いていた母は、のんきにやってきた娘に眼をやる。「お父さんお花見しない? ほらこんなに咲いているから」と枝を差し出す。父はゆっくり首を回して花を見る。「よう、お花見か、桜が咲いたか」。力なく眼をそらせた父の様子に、命の火が細く揺れているのが見えた。
私はいくつの時だったろう。父はオート三輪にまたがり、祖父と私を乗せて夜の郊外をどこまでも走っていた。田舎から出てきた親に東京の桜を見せようと勢い余って、遠くまできてしまったようだ。「はあ、もう咲いてねぇ。もどるべや」と、祖父の声。私は眠気をこらえて車窓にしがみつき、桜の花を探して暗闇に眼を凝らしていた。
さて今年の桜はどうしよう。毎年楽しみに思いめぐらす。春浅の琵琶湖巡りもした。ある年は宿坊に泊まって吉野山。またある年は村の老木の晴れ姿。今年の東北の桜はどうだろう。陸海空を侵す大災害に住む人を失った町や村で、花はもう咲いただろうか。年ごとの賑わいも集いもなく、淋しい花なのではないか。
《仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば》 西行
2011.4記