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「800字文学館」

お花見

内藤 真理子

 桜の季節は毎年やって来てわずかの期間風景が桜色に変わってしまう。この時期になると思い出すことがある。

 一人暮しの母が九十五歳の時だった。まだ桜には早い二月、風邪をひいたと電話があり行ってみると、炬燵にもぐりこみ「寒い寒い」と言って起きようとしない。医者に往診をして貰った。夜に医者が再びやって来て、血液を調べたら腎不全で数値の上では危篤状態だと言いすぐに入院することになった。あれこれ入院の準備をしてふと見ると炬燵の上に短冊がある。何日か前に書いたそうだ。
      願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃
 見た途端、母はもう長くはないのだ、せめて桜を見せてあげたいといつになく優しい気持ちになった。
 その後、桜が終わる頃には元気になり、我が家に来て一緒に暮らしはじめ、九十九歳で天寿を全うするまで寄り添うことになった。長生きしてくれたのは嬉しいが、この季節になるとつい思ってしまう。
〝あれは母の演出だったのかも知れない。私はうまく乗せられたのかな〟っと。

 今年は友人と〝桜満喫三食グルメツアー〟と銘打ったバスツアーに行こうと申し込んだ。思いついたのが遅かったので四月六日しか空いていない。桜は期待できないが、朝食は築地の場外市場でお寿司、昼食は柴又でうなぎ、その間を縫って、隅田公園、靖国神社、千鳥ヶ淵とめぐり、夕食は、まい泉のカツサンドを食べることになっている。
 だが今年の桜は、三月の中頃に開花宣言したにも拘らず、気温が乱高下したおかげで、四月六日にも見頃だった。その上、当日は雨上がりの晴天となり、風景が生き生きとして桜が一段と美しい。
 食も満喫して最後の千鳥ヶ淵で、友人と二人柵に寄りかかり、目の前の桜や、対岸の淵に張り出した淡いピンクのはかなげな様子にみとれているとにわかに風が吹きだした。その風で派手に散りゆく桜吹雪の中に、
「きれいでしょう、これも私の演出よ」と、したり顔で笑う母の顔を見たような気がした。

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