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「800字文学館」

カクテルはいかが?

平尾 富男

 マンハッタンのバーによく通ったのは、ニューヨークに単身赴任の頃。馴染みになったバーテンは、注文しなくてもウィスキーの水割りを黙って出すようになった。
「何で日本人は誰でも水割りばかり飲むんですか。しかも決まってジョニーウォーカーのブラック・ラベルを指定するんですよね」
 確かに、日本ではジョニ黒の水割りは銀座のクラブで飲む定番だった。お金がなかった学生時代にはニッカの赤だったから、社会人になってからはその反動が出たのだ。
 マンハッタンのバーでは、アメリカ人客の多くがウィスキーのストレートを、ショット・グラスでワン・フィンガーとかツー・フィンガーとか言いながら注文し、女性同伴の場合にはカクテルの定番であるジン・トニックやジン・フィズを頼んでいた。
 或る時からそのバーテンに代わって、カクテル作りが上手という評判の新入りが店を務めるようになった。この店の常連であることは承知しているようなので、
「何か適当なカクテルを作ってよ」と馴れ馴れしく頼んでみる。すると手さばきも軽やかにシェーカーを振って、「これなんか如何ですか」とグラスに注いで差し出す。
「中々口当たりがいいけど、結構効くね」。一口飲んで言うと、「ラムとウオッカをベースにしました。私のオリジナルです」
「う~ん、いけるよ。女性に飲ませて口説くのによさそうだな」
「今更何を仰いますか。カクテルとはそういうものです。その為に存在しているんだと私は常々思っていますよ」
 カップルのお客が来て、男性の方から連れの女性用に何か作ってくれと頼まれれば、その時の二人の雰囲気を慮って、頭に入っているカクテルの知識を紐解きながら楽しんでいると講釈する。
「なるほどね。でもちょっと待ってくれ。今夜は独りで来ているんだよ。何で女の子を口説くのに相応しいカクテルなんかを飲ませるんだい」
 こう言った後で、ふとこのバーテンはこの界隈に多いゲイではないかと不安な思いが過ぎった。

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