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「800字文学館」

落椿

池田 隆

 一昨々日の第61回ペンフォト句会で落椿をモチーフにした大越さんのフォト句が最高点を得た。足の踏み場もないほどに一重の赤椿が散った美しい写真で殆どの花が仰向きに落ちている。
 若い頃にこの現象について寺田寅彦の随筆を読んだ記憶がある。翌日図書館に行き、彼の膨大な全集の中からその作品を見つけ出した。「思出草」と題する随筆で、「漱石先生の俳句『落ちざまに虻を伏せたる椿哉』が切掛けで落椿に関心を抱き、観察や実験を行ったが、椿の花はたとえ俯向きに落ち始めても空中で反転して仰向きになることが多い。当然だが樹が高い程その比率が増える」と書いてある。大越さんもかなり大きな椿の樹の下で撮ったのであろう。
 寅彦は続けて「この空中反転作用は花冠の形状に依存する空気抵抗や花の重心位置などによって決まる。もし虻が花芯にしがみついていると、重心位置の移動で反転作用力が減じて俯せになり易い。自分はこういう物理的考察で句の現実性が強まり、詩の印象や美しさが一層高まってくる気がする」と述べる。
 だが私には寅彦の落椿への関心は文学観賞力を高め、科学と文学という異分野を結びつける事だけではなかったように思える。彼は「珍研究」と称しながらも自宅や職場に新たに椿の樹を数本植えて花の向きを統計的に調べたという。さらに椿の花を単純化した円錐形の紙模型を作って落下実験も行い、理研彙報に英文論文「空気中を落下する特異な物体の運動―椿の花」を発表している。
 昨今、大地震や巨大システムの事故で決定論的な科学技術の弱点が顕著となり、カオスや確率統計が注目され始めているが、寅彦は八十年も前に日常の瑣末な現象を観察しながらその重要性に気づいていた。
 遅まきだが彼の先見性を偲ぼうと、円錐形と円平面の紙片を用いて追試を試みた。2m高さで俯向きにして離すと落下地点は不規則だが、仰向きになる回数の割合が円錐型で7割を超え、円平面型でほぼ5割となる結果を得た。

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