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「800字文学館」

大王の花見

首藤 静夫

 世田谷の五島美術館をのぞいたついでに陽気に誘われ、周囲をぶらついた。この辺りは多摩川に沿った丘陵地帯で東急線二子玉川駅に近い。丘陵を川の下流の方に歩いていると公園の桜が目にはいった。花に誘われて園内に入る。どこにでもある都会の公園――と、あれ? 何だあれは。
 満開の桜の木々の前方にこんもりと小山がみえる。近づくと結構でかい。頂上は見上げるほどだ。小山の底部には土盛りした台形状のものが舌のように出ており外周は浅い溝がめぐる。案内板には「野毛大塚古墳」とある。結構有名だそうだが、川向いに長く住んでいながら知らなかった。
 規模は、全長82m、円墳部の直径66m、高さ11mとある。円墳部分と小さな台形部分をまとめて「帆立貝式古墳」というのだそうだ。帆立貝かなあ?
 これは5世紀初めに南武蔵を治めた有力な首長の墓だそうだ。仁徳天皇あたりだろうか。聖徳太子より二百年も昔の茫々たる時代、この関東にも立派な古墳があったのだ。いにしえの大王の風貌やいでたちを想像してみる。言葉は通じるだろうか。
 あとで調べたら多摩川の下流域には中小の古墳がかなりあるようだ。弥生時代、古墳時代いやそれ以前からこの一帯は川の恵みを受け、豊かであったのだろう。

 園内は、ウィークデイのためか近所の親子などが十人くらいで人影もまばら。周囲の人たちにはこの古墳は見慣れていてまわりの自然と溶け合った景色なのだろう、かまって見上げる人もいない。
 頂上に上ってみる。丘陵の上に作られた、高さ10数mの古墳のてっぺんは何とも気持ちがいい。その昔は、多摩川のはるか先まで望める雄大な景色が広がっていたのだろう。
 いきなり元気な声がして園児たちが先生に連れられて上ってきた。立派な古墳もたちまち彼らの遊び場だ。これには大王様も、うるさいやら、かわいいやらで昼寝どころか花見もままならないことだろう。
 公園の中になぜ古墳が?と思ったのが間違い、古墳を守るための公園だったのだ。

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