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「800字文学館」

既に我が身

安藤 晃二

 二十年程前の三菱銀行本店。広々とした空間で、人々の往来を眺めている。シャネルのスーツで颯爽と現れるハイヒールの美女、銀座のビジネス・レディに間違いない。次は財閥の奥方風、カシミアのコートを纏い、白髪のずんぐり体形が足を引きずる。順番を呼ばれた彼女は、先ず通帳を落とした。それから、バタッ、バタッと、バッグまで取り落とす。用事が終わって、また何か落ちた。「明日は我が身かな」、そんな思いがよぎる。

 ゴルフが終わった。早々に入浴、特急電車を捕まえるべく、クラブの送迎バスに乗り込む。上野で一杯の予定なので、多少気が急く。一人来ない。特急を二本もやり過ごす程待たされた頃、息を切らして「穿き替えのズボンが紛失して参りました」。朝の着替えでロッカーに入れ忘れたか。探し回ったが、やむなくゴルフズボンのままで帰る、とショックの体である。翌日、彼から一斉メールが来た。件名は「お粗末顛末記」、帰宅すると、奥さんから「ズボン、家に忘れてましたよ」。

 街に出た。その日に限り、パスケースをポケットではなく、バッグに入れ、店で使用後駅へ。パスケースが無い。バッグに入れた積りなのに。立ち寄った店、その周辺を捜す。揚句の果てに交番で回収。書類を書かされるは、他人様にもご迷惑をかけるはで、我と我が身にうんざりした。実は前科二犯なのだ。一犯目はATMにバッグを置き忘れた。路上停車摘発隊の影に、慌てて跳びだした言い訳付だ。そのストーリーも目出度く交番で完結する。今回は、家人に即刻文房具屋に連行され、チェーン付のパスケースのバッグにくくり付けを命ぜられた。小学生並だ。バッグが変わる度に不便この上ない。

 我が家では、良く眼鏡が見当たらない。ふとテレビを見る。お馴染みの老名誉教授が出演中、一見してそれと判る鯖江の高級眼鏡を着用、何と真っ赤なフレームが実にファッショナブルだ。いや、待てよ、家で見つけやすい色にしたに違いない。密かにほくそ笑む。

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