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「800字文学館」

黄金の三角地帯

中村 晃也

 古都チェンマイはバンコクから七百二十キロ、タイ北部最大の都市である。
 旧市街は正四角形の城壁で保護され、ビン川に続く濠で囲まれている。
 郊外は、川沿いにメリデイアンはじめ欧米資本の古いホテルが椰子の木の合間に点在し、早朝の窓からは黄色い衣を纏った托鉢僧の列が見える。

 チェンマイ大学でのアジア農薬学会に参加したその日は、丁度陰暦十二月のイーペン祭りにあたり、日本の灯篭流しのような魂送りの行事があった。
 民族音楽が流れる中、満月の下で花や紙細工で飾ったクラトン(灯籠)を流す、野趣溢れる情景に触れたのは得がたい体験であった。

 翌日は休日なので、思い切って国境付近の黄金の三角地帯帯の見学に挑戦した。
 カメラと所持金の大半をホテルのレジに預け、タクシーをチャーターし、怪しい英語を話すガイドと狭い舗装道路を北へ約二百キロ進む。チェンライという町で地元の通訳が乗り込み、未舗装の山道を一時間ほど登ると、小さな部落に入る。

 ここからは地元の通訳が交渉する。タクシーはここで待たせ、頭に布を巻いている小柄な男が運転する四輪駆動ジープに乗り換える。
 二人の通訳を介して、行く先を聞いても山の上のほうに行くことしか判らない。不安な気持ちを奮い立たせてジープにしがみつくこと二時間、十軒ほどの小屋からなる山岳少数民族の集落に着いた。垢まみれの数人の子供がわっと寄ってくる。

 小高い岩からラオス・ミャンマーとの国境地帯が見渡せた。連なる山々は緑に覆われ、所々森林が途切れている場所がケシの栽培畑だという。私をバイヤーと思ったのか、部落の長のような鬚面の男が小屋に入れとしきりに誘う。ガイドが日が暮れると危険だからすぐ帰ろうというので、急いでホテルに戻り、今日行った場所を地図で探した。山の奥の奥ということだけ判った。

 考えてみれば、連絡手段のない、警察もない、地名も言葉も全く判らない無法地帯に行ったのだからかなり無謀な旅であった。
 この事実は会社にも妻にも報告していない。

二十八年五月

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