夏目漱石『夢十夜』
今年は夏目漱石(1867~1916)没後100年、そして来年が生誕150年になる。県立神奈川近代文学館では「100年目に出会う夏目漱石」の特別展が開催され、関連イベントが催されている。
『夢十夜』の朗読(朗読 真野響子)を聞いた。漱石といえば『坊ちゃん』をはじめ長編がよく読まれているが、短編の『夢十夜』はそれ程注目されていなかった。昭和24年に発表された伊藤整の解説から注目度が増し、今や多くの研究がなされている。
最後の夢である第十夜を読みながら、漱石はこの夢で何をイメージしたものかを探ってみた。
町内一の好男子で善良な庄太郎が登場する。唯一の道楽が、夕方に水菓子屋の店先でパナマ帽を被りながら往来の女の顔を眺めていることなのだ。そんな庄太郎が女に連れられたまま行方不明になってしまい、七日目にふらりと戻ってきた。
この記述は、当時のパナマ帽は流行の最先端を行くものであり、西洋かぶれをイメージしている。
その庄太郎は、「女に崖から飛び降りて御覧なさいと云った。躊躇っていると大嫌いな豚がやってきたので、洋杖で豚の鼻頭をぶったら豚は絶壁の下へ落ちて行った。その後も数えきれないほどの豚が庄太郎を目がけてやってきた。七日六晩、豚を叩き続けた」という。
女の要求は、西欧化したいのなら素早く自己の意思を示せとの意で、七日六晩とはキリスト教の天地創造に費やした時間であり、豚の話は新約聖書のレギオンの話から採っていると解説書で知った。しかし、読者がそこまで読み込めるだろうか。
私は単純にこの豚は、日露戦争勝利後の軍事力増強を示していると思う。そして全編を通じて、流れのまま西欧化する日本人と、軍事力によって背伸びしようとする日本をイメージしているように思う。
最後の文章、「庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう」とは、次世代も何ら検証なく西欧化と軍事化の状況が続いていく、と警告を発しているのではないだろうか。