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「800字文学館」

『乙女の祈り』と『エリーゼの為に』-親父のピアノ

志村 良知

 父は昭和初期に師範学校でピアノを習い、小学校教師時代も弾いたらしい。戦後は百姓仕事でそれどころではなかったが、ピアノへの思いは深かったようだ。
 60歳過ぎて末っ子の私が独立するやすぐピアノを買った。もう定年退職だ、後は俺の自由だという宣言であった。あばら家でピアノの重量に耐えられる床面が無く、古い農家ゆえの広い土間の一隅に置き、懐かしのバイエル教本を頼りに初歩から自己流で練習を始めた。その進歩はたまの帰省時に聞いてみるとかすかに違いが感じられる、というくらいの速度であったが、やがて「得意は『乙女の祈り』と『エリーゼの為に』だ。『月光』はまだ無理だな」と称するようになった。
『乙女の祈り』の中間部に右手が低音でメロディーを奏でる個所がある。サロンや家庭での演奏用に作曲されたというこの曲、ここは左右の手がクロスするピアノ脇の聴衆への格好良い「見せ場」である。しかし、父は聴衆がいるとここで必ず止まってしまうのだった。ほら吹きのくせにあがり症であったようである。

 95歳で逝った母の葬式後、親族一同で8ミリビデオに収めた『エリーゼの為に』の演奏を鑑賞した。それは8年前、父が90歳の時、母の米寿の祝い酒を飲んで「おし、俺がピアノを弾くから皆んな聞いてろ、ビデオも撮れ」とピアノに向かったものである。和音を叩いて天を仰ぎ、左右の手がひらひらと宙を舞う大ピアニストばりの振りと、その繰り出す音の落差が抱腹絶倒大爆笑で、一族以外視聴禁止門外不出のお宝である。
 父の死後に一族入りし、晴れて視聴を許された兄の娘婿が「ピアノが弾ける君として、どうだこの演奏」と訊かれ、「終始フォルテ、右の残響ペダルを踏み込んだまま離さないんですね、凄いな」と苦しくも鋭い感想を述べた。
 師範学校のピアノ演奏教育は唱歌伴奏法なので、鍵盤は強くぶったたき、音を遠くまで響かせるのを第一としたらしい。父の演奏スタイルはこの教えに忠実であった。

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