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「800字文学館」

ねむの木こども美術館

池田 隆

 赤石山系の南に位置する掛川市の周辺では、平地と丘陵地が複雑に入り組んでいる。平地には田畑や市街地、丘陵地には檜の林や茶畑が広がる。温暖な気候や清流と相俟って、いかにも住み心地の良さそうな地域である。東海沖地震と浜岡原発の事故だけが住民の不安材料だという。
 掛川駅から北へ車で二十分程の「ねむの木こども美術館」を訪れた。宮城まり子が設立した養護教育機関「ねむの木学園」を中心とした村の諸施設の一つで、種々の障害をもつ子供たちの絵を展示している。
 村全体が人里からは奥まった所に在り、アルプスの山里を連想させる牧歌的な雰囲気を漂わす。美術館も大きな繭と茸をつなげたような建物で周囲の牧草地や山並みによく溶け込んでいる。さすがにツリーハウスやニラハウスで著名な建築家藤森照信の設計である。
 重厚な木の扉を開けて中に入ると、自然光を採り入れた明るい一室に多数の絵画が掛っている。特殊な事情をもつ子供たちの作品であることも忘れ、どの絵を見てもほのぼのとした楽しい気分になってくる。今まで著名な画家や友人知人の絵を多数見てきたが、このような気持ちになるのは初めてである。
 大きなキャンパス一杯に豆粒のように小さな同じ模様の絵を無数に描き込み、その中に小さな自分の姿も紛れ込ませた絵がとくに印象的だ。一枚の絵を三年間も描き続けたので、当初何を描こうとしたかも忘れたという。それで題名がなかった。
 これらの絵には誰かに誉めて貰いたいという、他人を意識する意図が全くない。描いている最中が楽しくて仕方がないといった感じである。唯ひたすらに作成に没頭している子供の姿が目に浮かぶ。
 何故か突然、八ヶ岳の中腹の渓谷で出合った御前橘の群生地の光景が頭に浮かぶ。地味な白い花をつけ正六角形に開いた六枚の美しい葉が辺り一面に並んでいた。
 群生する御前橘がこの絵を描いた子供と同様に、飽くことなく繰り返す自然の営みなので思い出したのかも知れない。

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