地震の記憶
「ない」という古語がある。地震を意味する。「な」とは土地の意、「い=ゐ」とは場所またはそのものの存在を明らかにするの意。地が転じて地震となったと辞書にある。『方丈記』には「おびただしく大ないふること侍りき」の記述もある。
18世紀の中葉に生まれ、旅行家、博物学者として多くの著作を遺した菅江真澄は、旅行記『男鹿五風』の中で、地震に遭遇したことに触れている。「地震(ナへ)の大に動(フ)りにふりて」と。男鹿半島を旅した時のことだ。
更に続けて、7月17日に「野村というところに行ったが、ひるごろ大きな地震があった。夕方にもまた少しゆれた」。その翌日、「きょうも地震を感じた。相川に行って尋ねると、このごろは毎日地震のいささかもない日はなく、箱井の寺の塔が倒壊したということである」
25日には「昨夜から空模様がかわって、海は濁り、星の光も曇り、寒風山は、うす霧のたちこめたように見える」と記し、「津波が寄せて来よう、危い、身に負えるだけのものを背負うたらよい」という人々の会話を書き留めている。
250年前に愛知県に生まれ、秋田の仙北で放浪の生涯を閉じた菅江であるが、男鹿半島での足跡の象徴である「菅江真澄の道」と書かれた標柱が、今でも男鹿市内の随所に残っている。
日本人は地震列島の上に住み続けている。1990年以降、2016年4月30日までの期間を取っても、日本列島で震度1以上の地震を記録したのは7万回を超えている。2016年になってからだけでも1,150回に上る。
今年4月の熊本巨大地震以前に起きた震度7の大地震は、2011年3月11日に発生したM9の三陸沖巨大地震(正式名称を東日本大震災と閣議決定)が記憶に新しい。
その前の大地震、1995年の阪神・淡路大震災以前にも、列島の北から南まで場所を選ばず時を選ばずに地震は起きている。首都圏の東京・横浜も関東大震災で壊滅状態になったことを忘れてはならない。