作品の閲覧

「800字文学館」

峠を越え行く二人の女性

藤原 道夫

 五月中旬に、西会津にある郷里の中学校で同級だった女性に会うため、浜松まで出掛けた。同級会が開かれたのが十数年前、その後年賀状をやり取りして何時か会いましょうと書いてはいたものの、なかなか実現しなかった。約束した当日駅近くで無事落ち合い、お茶を飲みながら雑談、昔の面影がちらほら浮かぶ。父親同士が親しかったことをお互いに覚えており、あれこれ話は弾んだ。
 彼女の実家は散在する山村の中でも一番奥まった集落にあり、中学校まで峠を越えて片道2時間余かかったとか。雪深い冬期は近くの分校に。20歳で隣村の旧家に嫁いだが、25年前に浜松に定住、そうなるまでの数奇な運命を聞かされた。今は未亡人、娘が三人いて孫は六人になったとか。
 話は変わって明治時代『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バードのこと。五月一回目の「何でも書こう会」の席上Nさんがこの著書についての感想を発表、興味深く拝聴した。帰りがけに本をお借りし、帰宅して早速イザベラが東北地方を旅したコースを辿った。日光を見物した後会津に向かって北上し、悪路に難渋しながら数日後「日暮れ時に野尻という美しい村に到着した」(明治11年6月30日付)とある。こここそ我が故郷だ!
 彼女は少し先まで進み、車峠で宿泊した。茶屋などが三軒あったことが分かる。村の生活の貧しさについてもしっかり書き留めている。イザベラはここから苦労しながら越後山塊を通り抜け新潟県津川に到達、そこから阿賀野川の水運を使って新潟に出た。
 麓から見上げていた車峠にはよく登った。同級生の実家への道は峠を下った辺りでイザベラの通った道と分かれ、さらに東奥へと続く。
 二人の女性がそれぞれに峠を越えて行く姿を思い描いてみる。峠を登るつづら折りの旧道、天辺からの美しい眺め、道脇のせせらぎ、背高く伸びたイタドリの群落……懐かしい風景が広がる。
 女性の姿は、それぞれの服装で現れては消え、はっきりしないまま。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧