『四季』とセント・マーチン教会のオルガン
学生時代、イ・ムジチのコンサートに行った。プログラムは『四季』と『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』。チケットが幾らしたのか覚えていないが、当時の私にとってはとてつもない額だった。しかし「イムジチの四季」を生でどうしても聞きたかったのだ。当時、あのおおらかな演奏は『四季』のデフォルトになっていた。
そこに現れたのが、ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズのレコード、「アカデミーの四季」であった。
そのテンポと曲想は革命的で、特に「冬」第二楽章の通奏低音のオルガンは鮮烈だった。このレコードで、それまで地味な癒し系音楽にすぎなかった「冬」第二楽章は、単独でTVCMに使われるなどスターダムにのし上がった。
音楽エッセイを社内誌に書いたりしている本社常務取締役の来仏の際、英国の客先へもお出まし願った。仕事の後「『四季』のオルガンが見たい」というリクエストでセント・マーチン教会を訪れた。
「あれか」。オルガンにカメラを向ける。
「オルガンって毎日チューニングするらしいね、聞きたいな」。ベンチに座り込んだ。
「待てば聞けるかもしれない、時間はあるよね」。待つ気満々である。
一時間も過ぎて「リミットです」と言おうとした頃、オルガン周辺に人の動きが見え、やがて教会全体がブワーンと柔らかい音響に包まれた。高低の単音、和音やバッハの断片などで、まとまった曲が聞けたわけではなかったが常務は「すごい。奇跡だ」と大喜び。
後が大変だった。タクシーはやめ、時間が読める地下鉄にし、電話で秘書に空港到着予測時間を知らせて航空会社との交渉を指示。駅へ走る。空港でも走る。チェックインカウンターの女性には「飛行機が待っている。ゲートへ急げ。途中ではいかなる買い物もしてはいけない」とどやされる。常務はずっと不満もいわず、むしろ先に立って指示通りに走る。
「む、これは後々の評価が期待できるな」