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「800字文学館」

高野辰之と小学唱歌『故郷』

大月 和彦

 昨年3月開業した北陸新幹線の飯山駅に列車が到着すると小学唱歌『故郷』のメロディ―が流れる。上信越の山々と班尾山(1367m)など信越国境の山脈に挟まれた盆地の古風な町に作られた新駅のメロディにふさわしい。

『故郷』の作詞者高野辰之(1876~1947)は飯山から6㎞南西の下水内郡永江村(現中野市)に生まれた。尋常小学校を卒え、飯山の高等小学校へは歩いて通学した。上京前の一時期、飯山で教師を務めたりした。
「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川…」は永江の西北にそびえる斑尾山とそこから流れる斑尾川を、『朧月夜』に詠われた菜の花畑や山里は青年期まで過ごした奥信濃一帯の情景をイメージしたものといわれる。

『故郷』は「日本のうた・ふるさとのうた100選」の2位に選ばれるなど親しまれている。長野オリンピックの閉会式のフィナーレで観客全員がペンライトを振りながらこの歌を合唱して選手を送った。

 明治以降の近代化は、地方から都会への人の移動を加速させ、故郷を離れて暮らす人々を大量につくりだした。
 都会へ出た人たちにとって、故郷の自然や両親友人などを想い、「こころざしを果たしていつの日にか帰らん」の止みがたい望郷の念のフレーズは琴線に触れる歌だった。

 高野も上京し、上田万年に師事し国文学研究の徒に。東京音楽学校教授を経て文部省小学唱歌教科書編纂委の作詞委員となり、数々の歌詞を作った。同じ頃同委員会作曲委員だった岡野貞一が高野の歌詞に曲を付け、名曲に仕上げている。

 戦争末期に故郷に近い信州野沢温泉に隠棲し、戦後同地で亡くなった。「高野斑山」と刻まれた墓碑が野沢温泉スキー場の西端、斑尾山が望まれる場所にある。こころざしを果たして郷里に錦を飾った心境だったのだろうか。

 高野作詩の『春の小川』は、大正初めに代々木山谷に住んでいた高野が明治神宮北の低地を流れる河骨川の風景を詠ったもの。参宮橋駅の西寄りの小公園にこの歌碑があり、代々木3丁目の住宅街には「高野辰之住居跡」の標柱が建っている。

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