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「800字文学館」

飛行機に乗るのが怖い

都甲 昌利

 今でも私の搭乗する航空機に限って落ちるのではないかと恐怖にかられる。これは私だけではないらしい。シカゴからニューヨークに飛んだ時、隣の席に座った白人の老婦人が離陸する間際に、ペンダントの十字架を唇に当て十字を切っていた。特に航空事故が続いて起こった時などは不安と恐怖はなおさらである。
 1966年(昭和44年)は魔の年と言われた。2月4日全日空ボーイング727が札幌の雪まつりの帰京客を乗せて東京湾に墜落し乗客133人死亡、3月4日カナダ太平洋航空のDC-8機が羽田空港に着陸に失敗し64人死亡、更に同日、BOACボーイング707機が富士山ろくに墜落124人死亡。

 当時私は羽田に勤務していて事故調査に関わった。原因調査には通常約1年かかる。事故直後、新聞記者たちは駐車場拡張のため稲荷神社を撤去した「お稲荷さんの祟りではないか」とか「BOAC機は富士練習場の自衛隊が間違って撃ってしまったのではないか」というようなバカげたことを言っていた。

 ICAOの統計によると航空事故による死亡率は自動車事故による死亡率より少ない。米国を例にとると航空事故は百万人に付き0.144である。これに対して自動車の死亡率は百万人に100人となっている。もちろんこれらの数字はどの程度航空機に乗るかで異なるが、年間に多く利用するミリオンマイル・フライ・メンバーの旅行客であってもごく安全といえる。

 それなのに何故人々は飛ぶことに不安や恐怖を持つのだろうか。それは一回の事故で多数の死亡者が出るからだ。そして大々的に報じられてさらに恐怖を呼ぶ。もう一つの理由は航空機の場合は生命がパイロットにゆだねられていることだ。自分でコントロールできない。最近ではテロやハイジャックの恐怖だ。これに反し自動車の場合は運転は自分でコントロールできる。ドライバーは自分の運転技術に自信を持っているから恐怖は感じない。
 不安や恐怖を感じながら人々はこれからも飛び続けるだろう。

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