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「800字文学館」

『全ての山に登れ』 スイス雪中ハイキング

志村 良知

 6月の晴れた日、同僚のヒデミさん一家とハイキング。
 メンリッヒェンからクライネシャイデックまでの尾根伝いコースが今日の目的。このコースは距離5km標高差170m、一貫して緩い下りでアイガー、メンヒ、ユングフラウのベルンナー三山が常に真正面に聳える。スイスでハイキングするならここ、世界一魅力的なハイキングコースの呼び声も高い人気コースだ。

 登山電車で着いたウェンゲンからロープウェイでメンリッヒェンに登るとそこは雪山の様相だった。白銀の世界に快晴のベルンナー三山。ユングフラウに笠雲が懸っている。「色眼鏡がスキー用で正解」「色眼鏡って久しぶりに聞いた」奥さんのヒロミさんが笑う。
 ドイツ語堪能なヒデミさんと案内所へ。「尾根伝いのコースは雪で閉鎖されているが、一旦グリンデルヴァルトに向かって道路の分岐まで下り、そこから反転して登ればクライネシャイデック行ける」と説明を受ける。地形図で調べると分岐はここから7km480m下った標高1750m地点。そこからの登りは4km標高差310m。スキーの名手のヒロミさんは子供たちを「雪道を歩くんだぞ、楽しいぞ」と煽りたててやる気満々。緩く170m下るだけのつもりが大変なことになった。

 出発。小学生のタイミとカレンは子犬のように雪と戯れながら後になったり先になったり。「あやつら、この標高であんなにはしゃいだら、登りでばてるぞ」
 道路の分岐は森林限界の下、大きな樅の木が聳える森の中。登り始めると真正面にアイガー北壁が迫る。登るにつれて木が小さくなり、這い松だけになり、雪は深くなり、上からは6月の太陽が照りつけてくる、息は切れる。頭の中でザ・サウンド・オブ・ミュージックのラスト『全ての山に登れ』が鳴り響く。
 クライネシャイデックが見えてきた。「自由」ならぬアイスクリームとビールが待っている。タイミとカレンはますます元気で、私とオクさんのお尻を押してくれようとさえする。

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