作品の閲覧

「800字文学館」

孫の日本語

平尾 富男

 今年の四月初めにロンドンに行った娘一家の長男から手紙が届いた。小学校四年生で現地の学校に編入されている。日本人学校には行かせないという父親の教育方針は孫の将来を考える祖父にとって大いに心配事であるが、口は挟めなかった。
 ところが孫の手紙には、「小説を書いたから読んで」とあるではないか。題名は『僕らの旅日記』(旅立ちの日)とある。どうせ小学生の書く「作文」だろうと、見くびって読み始めたが大違い。登場人物は作者と同年代の男子二人と女子一人だが、キャンプに出掛けてテントを見つけて、その中で色々と事件に遭遇するというもの。男の子と女の子の間での気持ちの揺らぎが垣間見えたりするところはいかにも小説らしい。しかも最後は沈没船や埋蔵金が出て来て、「続く」とある。
 漢字もそれなりに多用している。細かいところでは、言葉遣いに間違いがない訳ではないが、そんなことを注意してはいけない。自由に書き続けさせよう。孫がその気になったのは、祖父が手慰みにときおり小説(らしきもの)を書いているということが影響しているのだろう(これこそ自画自賛の極みか)。
 孫の日本語能力については心配なさそうだと一安心する。外では英語でも家の中では日本語なのだから当然と言えば当然なのだが。「続き」が待ち遠しい。

 一般的に日本語は難しいと言われている。特に書き言葉における漢字の多さ、読み方の多様さ等々、明治以来漢字無用論が出ている理由はよく分かる。
 初代の文部大臣であり、一ツ橋大学を創設した森有礼は『日本の教育』を著わし、英語公用語論を推進した。志賀直哉が日本語を廃止してフランス語を公用語にすべしと説いたことも有名である。
 難しいとの評価は別にしても、少なからずの外国人が日本語に魅せられていることも忘れてはならない。
 漢字を覚える最善の方法は日本語の本をたくさん読むことだ。祖父の責任は、日本語の本をせっせとロンドンの孫に送りつけることだ。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧