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「800字文学館」

鄭和(ていわ)の海外遠征

野瀬 隆平

 鄭和の船はどのくらい大きかったのか。
 15世紀の初め、明の永楽帝は元よりも更に大きな帝國を築こうと目論み、海外に船隊を派遣することを決めた。その総司令官に任じられたのが鄭和である。1405年からおよそ30年の間に、7回にわたり遠征し南海やインド洋さらにはアフリカ東岸にまで足を延ばしている。

 1421年の遠征では、100隻以上のジャンク船に3万人が乗り込んで出帆。鄭和の乗る旗艦の大きさは、なんと長さ140m、幅58で、排水量が2000トンもあったといわれている。これほど大きな船を木で造ることが技術的に可能だったのだろうか。
 それから遅れること数十年、コロンブスが大西洋を横断して新大陸を発見した時の船、「サンタ・マリア号」の長さがおよそ30mであったことを考えると、けた違いの大きさだ。しかも、中国で発明されていた羅針盤や火薬を使う大砲まで装備されていたというから、かなり強力な艦隊である。
 中国のお話で、白髪三千丈の類と思われるかもしれない。しかし、これよりおよそ100年前に、マルコポーロがシルクロードを辿って中国に達し、母国に帰る時に乗った船が、大きく優れたものであったことが、『東方見聞録』に書かれている。また、巨大な船を建造したと思われる長さ421m、幅41mの造船所の跡が、揚子江に面した南京で見つかっている。これらのことを考え併せると、多少の疑問は残るにしても、まんざら眉唾の話でもなさそうである。

 ところで明帝国の狙いは何であったのか。ずばり、明の威光を示すためである。中国が世界の中心であるという中華思想に基づき、相手国に貢物を献じさせ、そのお返しとして中国の優れたものを下賜するという朝貢貿易だった。
 これは、ヨーロッパの商人たちが、利益追求のために行った民間貿易とは対照的である。
 2005年、中国は「鄭和下西洋600周年」と銘打って、記念切手を発売した。今日、「一帯一路」を唱える中国が、このような歴史を持つ国であることを知っておく必要があろう。

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