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「800字文学館」

梅雨あけぬ

首藤 静夫

 学校が夏休みに入ったのにいつまでも梅雨空だ。蝉を追いかける子供の声も聞こえない。わが家の朝顔は二階のベランダに届いたが花のつきが悪い。ご近所まで心配してくれる。数日前から二輪、一輪、三輪とわずかについたが雨の中では開けない。そうか、梅雨の間は咲いても仕方のないことを知っているのか。散歩がてらに町内を見てまわる。最近はこの花も少なくなった。どのお宅もあまり咲いていないようだ。安心する。

 今日はまずまずの梅雨晴間。「よし、やろう」。青苔の一斉退治だ。家の外周はコンクリやブロックに苔がはりつき、ぬるぬると気持ち悪い。おまけに多摩川の風に運ばれた土埃で雨戸や外壁も汚れている。
 高圧洗浄機ケルヒャーの威力はすごい。苔も汚れもみるみる吹き飛ばされ、外壁や三和土がもとの素肌に甦る。その爽快感が楽しい。以前のような、柄のついたタワシでごしごしとは大違いだ。
 三十分ほどで狭いわが家を一周した。折角とりだしたケルヒャーだ、このまましまうのは勿体ない。ほかにどこかないか――ふと、隣家や向かいのアパートの側溝、垣根のブロックが目に入る。ここも青苔だ。「ええい、ついでだ。やっちまえ」
 先方に断らずに始めたものの止め時が難しい。奥まで入り込むのは失礼だが、ケルヒャーの前と後とでは差が目立つ。もう少し、もう少しとつい・・・。
 夕方、向かいのその賃貸アパートに住んでいる若い女性が訪ねてきた。どきりとする。勝手にやった作業のクレームか? 少し心配したが杞憂だった。さくらんぼのおすそ分けだった。「知り合いにたくさん頂いたので」と。たまに挨拶を交わす程度なのに、これはケルヒャー効果かたまたまか。さらに別のお宅からはインゲン豆を頂戴した。
 川崎のこの辺りは昔の風情の残る土地柄だ。狭い路地を物や挨拶が行き交う。先ほどの彼女も土地に馴染もうとしているのだろう。
 横丁は一足先に梅雨があけたようだ。明日は大輪の朝顔がみられるだろう。

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