遺された下絵
大学の同期会でK君より日本画家であったご母堂の作品集を頂いた。日本美術協会で入選するほどの実力を持ちながら、昭和十七年に三十余歳の若さで幼い彼ら子供三人を残し、病に倒れたとのこと。このたび手元に遺された多くの作品を埋没させるのが忍び難く、兄弟で作品展を開き画集を作ったという。
表紙を開くと、昭和九年に描いた「麗春」と題する代表作が目に入る。掛軸に表装された縦長の気品ある大作で、上端に描かれた蔓枝より薄青紫の藤の花房が長く垂れ下がり、下端の角には太い幹が覗いている。頬が赤く尾の長い小鳥二羽が向き合って枝に止り蜜を啄む。春の暖かい穏やか庭園の情景を優しく切り取ってきたかのような精緻な描写である。
この絵を描き上げるまでの下絵も掲載されている。六幅の同寸の絵で、京都画壇の方々の考証に従って作成順に並べ直し、このたび屏風仕立にしたという。
一枚目は藤の花と葉を作者が写生的に描いた薄い着色の絵。二枚目では空間の取り方など、構図を大幅に修正し、本格的に着色。三枚目は完成図に近い素描で、新たに小鳥を追加。四枚目で再び着色。但し藤の花の色が濃い目の赤紫。五枚目、六枚目は四枚目に付加する枝や蔓の下絵。
一連の下絵から描画中の作者の様子と心情を推察してみよう。
作者が実際に見たのは赤紫のやや派手な藤だったに違いない。それを寒色系の薄い青紫に変え、暖色系の背景との対比で却って存在感のある清楚な藤に仕上げている。また小鳥の頭の小さな動作で、全体の静穏さをより強めている。作者の心憎い作為が読み取れ、興味深い。
この静謐な絵を描いていた頃は、日本が軍国主義へ邁進する喧騒な時世である。作者は絵に何を託したのだろう。今までの暖かく静かな光景を描き残して置きたかったのか。あるいは平穏な家庭にまで軍靴の音が響き、風趣を愛でる余裕が消え失せた世相を悲しみ、鷽(ウソ)と思われる小鳥を介してその気持ちを暗示させたのか、いつまでも絵を見つめていた。