イタリアの街角で(八) サン・フランチェスコの墓
サン・フランチェスコの名はクリスチャンでなくとも、アッシジを訪ねたことのない人でも、どこかで耳にしているだろう。
フランチェスコは1182年イタリア中部の小都市アッシジの裕福な商人の家に生まれ、奔放な青少年時代を過ごしていた。ある日突然神の啓示を受け、親から与えられた高価な衣服を強引に返し、茶色のガウンを縄でくくる服装に替えた。以後小さな教会を修復しながらそこに住み、また清貧を旨として小さな庵などで過ごし、44歳で亡くなるまでひたすら神に仕える日々を送った。
キリスト教界はこのような人物を放っておかない。聖人に列して名にサン(聖)を冠し、町はずれの丘に壮麗な聖堂を築いて地下に立派な墓を造り、アッシジを巡礼地に仕上げた。
現在のサン・フランチェスコ聖堂は上下二層から成り、壁面は高名な画家による壁画で埋めつくされている。上の聖堂はジョットの工房が手掛けた一連のフレスコ画「サン・フランチェスコの生涯」が見事、中でも「小鳥に説法するサン・フランチェスコ」が有名だ。下の聖堂は交差ヴォールト式天井が続く圧迫感のある空間で、左右に礼拝堂がある。どの壁面にも絵が描かれていて圧倒的。私がこの聖堂を訪ねるのは偏にそれらの絵画を見るため。
特に気に入っているのが下の聖堂後陣にある「夕映えの聖母子」(P.ロレンツェッティ)。陽が射し込むと聖母子の背景が金色に煌く、と案内書にある。西の空が赤々と染まる日に時間帯を見計らって訪ねてみたが、残念ながら絵の処まで陽が届いて来なかった。
夕陽に映える聖堂は豪華な神殿のようで、清貧の精神とはあまりにもかけ離れた姿だ。サン・フランチェスコがこの聖堂の中の自分の墓を見たらどのように思うだろう。自ら修復し、修行もしたサン・ダミアーノ修道院に墓を移すよう法王に懇願するかもしれない。聖堂と反対側の低い処にある質素なその修道院の一角こそ聖人の墓地に相応しいように思う。