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「800字文学館」

イタリアの街角で(九) 「小さな祈り」

藤原 道夫

 イタリア中部の小都市アッシジには、サン・フランチェスコ聖堂内の絵画を見るために何度か足を運んだ。聖堂界隈はいつも巡礼者でにぎわっている。ある時バス停に面したお土産物店を覗いたところ、「Little Prayer小さな祈り」(英文)の書いてある絵葉書が目に留まったので買い求めた。
 この祈りはフランチェスコが唱えていたとされる十行の文言から成る。

主よ、わたしをあなたの平和の道具として下さい。
憎しみのある所に、愛を置かせて下さい。
侮辱のある所に、許しを置かせて下さい。
分裂のある所に、和合を置かせて下さい。
誤りのある所に、真実を置かせて下さい。
絶望のある所に、希望を置かせて下さい。
闇のある所に、あなたの光を置かせて下さい。
悲しみのある所に、喜びを置かせて下さい。

(以下略)

 これは「平和の祈り」とも呼ばれ、サッチャー元英国首相ら政治家やツツ主教ら社会活動家の演説に引用されてきたようだ。その具体例を調べようとしたところ、目的を達する前に意外なことが分かったので、そのことを記しておきたい。
 1912年第一次世界大戦勃発の前夜、フランスのカトリック教団が発行していた『鈴』という報告書の中に「ミサにおける美しい祈り」という祈祷文が無記名で発表された。これがいつしかサン・フランチェスコと結びついて「小さな祈り」と呼ばれるようになったとか。

 アッシジへの巡礼者たちは、原典にこだわることもなく「小さな祈り」を胸に刻み、清貧に徹して生きた聖人を讃えながら帰途につく。祈りと聖人の精神とが実生活でどう生かされるか、問題はあろう。人は贅沢に流れがちだ。だが「小さな祈り」を唱え、また聖人の精神に触れる機会を持つ事は意味のあることだと思いたい。ただひたすらに絵画に惹かれて聖堂を訪ねた私も「小さな祈り」に触発され、人間の生き方や宗教のあり様についてさまざまな思いを思い巡らせながらアッシジを後にしたことを思い出す。

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