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「800字文学館」

黒パンの話

都甲 昌利

 ソ連時代、四年半にわたりモスクワに勤務した。最初の一年はホテル暮らしで毎朝ホテルの食堂で朝食を摂った。朝食には必ず黒パンが出てきた。
 黒パンはライ麦から作られる。小麦の育ちにくい寒い気候のロシアやウクライナでは黒パンは常食だ。ライ麦100%の真っ黒のものから、小麦粉を混ぜて作ったものだが、その比率や発酵の仕方で味が異なる。最近、日本でもライ麦パンを売っている店もあるが概して酸味が薄い。
 黒パンには白パンと違ってミネラルやビタミンが豊富に含まれている。特にビタミンB群の「葉酸」が多い。葉酸は赤血球を合成する必要不可欠なビタミンで、貧血予防などに効果的と言われる。そのうえ消化吸収が良く、食べるとすぐにエネルギーとして使われる。シベリアに抑留された日本人捕虜が黒パン一切れで重労働に従事した。

 アメリカに亡命したロシア人がアメリカの食パンについて書いている。
「アメリカのパンほど不味いものはない。ロシアとアメリカの二つの超大国の間で一番大きく違っているのが、このパンという食品である。ロシアではパンは愛されている。『パンは命と同じ位大切』とはソ連共産党の政治局員の言葉だ。アメリカから穀物を輸入するくらいだから、大切に取り扱われるのだ。
 これに対しアメリカでは穀物は過剰生産されて捨てられている。愛されることとは反対に嫌悪されている。
 アメリカ人が作るあのふわふわしたパン。一体どうしたらあんなものが出来るのか。それはアメリカ人がパンを憎んでいるからとしか説明がつかない。」

 日本人には黒パンはそんなに美味しくはない食べ物だ。。それは単独で食べるからだ。美味しい食べ方がある。先ず黒パンにバターを塗る。その上にセプルーガという最高キャビアをたっぷりと塗って食べるのだ。当時、これが食べられるのは外貨を持った外国人の特権だった。
 ソ連体制が崩壊した今はもうこんな贅沢はできないだろうが、懐具合が許せばもう一度あの味を食してみたい。

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