七十二歳の俳句処女作
ペン俳句会に入会を許された。「次回の句会からどうぞ。兼題は“夜の秋”です」との案内をもらったが、句会はもちろん俳句を作ること自体初めてである。
とりあえず歳時記を買ってきて、夜の秋をさがす。「晩夏になると夜はすでに秋の気配が漂うことをいう」とある。
なるほど秋の気配ねえ~。それにしても今は七月の下旬、季節感が伴わないなと思いながらも、冷房をつけて目をつむって秋の気配を想像する。
ん? 昔覚えたある短歌を思い出した。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
これだ風の音だ、と小躍りして調べる。秋来ぬと…は古今集に載っている有名な古歌である。昼間じりじりと照りつける夏の暑さは依然として続いているが静かに耳を澄ますとどこかに、そう、風の音の中に確かな秋の気配が感じられるではないか、という意味。これこそ夜の秋の風情だ。これを五七五にまとめればよいのだ。
古歌ならひ風の音聞く夜の秋
古歌ならひ、とは古歌を真似してのつもりだが、表現が素直で我ながら気にいった。
しかしまてよ、これじゃ風の音がどのように聞こえたかが表現されていないよな。第一今まで一度も風の音に秋の気配を感じたことなどないじゃないか。
それもそうだ。感じたことがないことをさも感じたようにいうのは欺瞞というものだ。
やっぱり、自分にとっては風の音に秋の気配を感じることなどできないことを、正直に俳句にすべきだ。そして出来たのが次の一句。
ことりとも風の音せぬ夜の秋
昔の人が詠んだように、風の音に秋を感じようと思ったが、私にはそのような風雅な風の音などことりとも聞こえなかった、というやや自虐的なものとなった。
この句を携えて初の句会へ。かろうじて一人の方の選句に入った。しかし合評では、ことりとも風の音せぬは夏の暑いイメージ、夜の秋の涼しさとは矛盾するとの指摘を受けた。なるほどと思いながら俳句の難しさを思い知った。
七十二歳にして初めての俳句づくり顛末記である。