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「800字文学館」

関東郡代伊奈氏の偉業(赤山城址)

池田 隆

 ここ暫くは都心の名園や旧跡を訪ね回っていたので、久しぶりに郊外の新鮮な空気を胸一杯に吸いたくなった。植木の里では梅も見頃だろうと、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅でおり、周辺を散策する。あちらこちらの農家の庭先で梅の花が満開である。
 小さな道標に目をやると、矢印の先に「赤山城址」とある。知らない名前だけに興味がわく。行ってみると、丘の上の畑と林の間に新しい大きな石碑が立ち、周囲は現在も発掘調査中である。
 傍の説明板を読むと、関東郡代伊奈氏の陣屋跡とある。突然背後から声を掛けられた。近くで農作業をしていてたまたま通り掛った人のようだ。初老の男性で肥料を載せた猫車を止めて、伊奈氏の偉業を熱心に私共へ語り始める。
 伊奈氏は江戸初期から中期にかけての二百年間、十二代にわたり旗本として関東郡代を務めた。赤山に陣屋を構えたのは三代目以降とのこと。陣屋とは言え、関八州の天領三十万石を管轄するので小藩の城郭並みの規模であった。
 関東平野には利根川、渡良瀬川、荒川などの大河川が流れ込むので、海抜の低い平地ではしばしば洪水が起こっていた。家康は江戸入府に当り、伊奈忠次に江戸城下を含め関八州の治水を命じる。彼は伊奈流と呼ばれる独自の治水法で田畑や江戸市街の洪水防止と利根川東遷の事業に取り組む。
 治水利水の任務は伊奈氏の歴代当主が引き継ぎ、関東での農作物の安定的な増収を実現していく。十七世紀中頃の四代目の時期、遂に利根川を銚子方面へ分流することに成功し、以降は鹿島灘と江戸湾を結ぶ水運が急速に発展していく。
 新田次郎の小説「怒れる富士」の主人公で、宝永大噴火に際し窮民を助けた伊奈忠順は七代目の当主である。

 仕事を止めて真剣に語る老夫の顔には単なる地元自慢や知識の披露でなく、伊奈氏歴代への尊崇の念をひしひしと感じる。数百年の後まで住民に斯くも慕われる伊奈氏について、更によく知りたいとの思いを強め赤山城址を後にした。

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