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「800字文学館」

川柳くすっ

稲宮 健一

「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」まさに、黒船で上を下への大騒ぎでひっくり返っているとき、その騒ぎを横から眺めて詠った落書による名句だ。庶民のレベルは高い。大田蜀山人の句だと思っていた。
 筆者が川柳の会の端くれに首を突っ込んだのは、頭の端に残っていたこの句のせいだろう。川柳は詠んだ途端に、世間を皮肉ったり、皆の心の隅に隠れているちょっと恥ずかしいお色気を掘り起したり、過ぎ去りし若さを懐かしんだりして、一服の清涼剤だ。聞いて、くすっと笑ったり、あ、お前もちょい悪の共犯かと、ほくそ笑むのが良い句だ。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」芭蕉の名句だが、観光客などがいない、当時の閑散とした夏の出羽立石寺の情景が浮かび上がらないと、静寂を破る蝉の声の実感が湧かない。俳句だけで情景を浮かび上がらすのは難しく、奥の細道と一緒になって句の広がりが出てくる。読み手と聞き手が同じ情景、情緒を呼び起こせば共感が得られる。同じ五七五でも、俳句は情緒的な大和言葉が引き出す広がりと、余韻のある短い言葉で一つの世界を描き出す。と言っても勘の鈍い筆者には短い言葉で美しい情景を引き出す表現力はない。

 これに対して、フォト句は俳句と川柳の中間のように思える。蜀山人や芭蕉のころにはなかった鮮やかな写真の一コマを切り出し、五七五で詠む。写真を写した人の意図に関わらず、読み手は写真を基に、読み手の中にある記憶から発想を膨らませ、写真と句の新鮮な結びつきを披露する。その結びつきが写真の普通の見方の表意を離れているほど共感を呼ぶかもしれない。

 川柳仲間は人知れず古びてくる。どっこいしょと腰を上げ一呼吸、二階に上がると、はて用事は何だったっけと戸惑う昨今。すぐ前のことが消えるなら、まだ残っている楽しかりしことや、おやおや今はこんなに変わったのかなど、残っている古びた記憶を呼び起こし、古き良き時代に浸ろうか。

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