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「800字文学館」

可睡斎(かすいさい)

池田 隆

 袋井市に在る「可睡斎」を地元に住む方の案内で初めて訪れた。行先を聞いた時は由緒ある庵か茶室かなと思ったが、着いてみると堂々とした禅宗の寺院である。
 座禅道場として全国有数の規模を誇るとのこと。総門を抜け、石段の上の山門を潜ると正面に本堂、左手に座禅堂、右手に「瑞龍閣」という大きな方丈が待ち構えている。方丈の玄関から入り、堂宇を結ぶ回廊へと導かれる。まずはご本尊の聖観音に参拝、続けて奥の秋葉大権現や座禅堂を巡り、再び方丈へ戻る。
 途中ですれ違う若い雲水の物腰から、しっかりした修行を行っている様子が窺える。この寺の名前の由来を聞く。十一代目の住職が幼児期の家康を戦乱から匿った。数十年後に旧恩を謝そうと家康が招いた席で、老いた和尚は無心に眠り、舟を漕ぐ。その様子を見ながら、「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」と家康が述べたという逸話に因む。今でも当寺では座禅の安眠効用を説く。
 瑞龍閣には目を見張る様な障壁画の襖で仕切られた部屋が並ぶ。その一室で赤と黒の漆塗りの膳と器に盛られた精進料理を頂く。食材を余すことなく使ったエコ料理は見た目の華麗さにも増して、繊細な味で舌を魅了する。シェフの典座(てんぞ)和尚がその道の第一人者と伺い、さすがと納得。
 入れれば出すの習いで便所に立ち、これまた仰天! 「日本一の東司(とうす)」と書かれたガラス戸を開けると、ピカピカに磨かれた木張り床の大広間の中央に高村晴雲作の烏枢沙摩(うすさま)明王が聳え立つ。昭和十二年に出来た日本で最初の水洗トイレという。側面に並ぶ扉の造りも瀟洒である。
 心地よく用を足した後、頭に浮かんだ。身体から無用な排泄物を出せば清々しい。心から無用な邪念を捨て去れば、同じように爽やかな気分になれる。明王はこの事を我々に気づかせたいのではないか。悟りの境地をすこし想像できた気分になり、東司を出た。

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