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「800字文学館」

愛に生きた女(ひと)

平尾 富男

 その人に初めて逢ったのは中学生の頃だった。昨年が生誕百年だったとは信じられない。1982年にロンドンで、余りにも若過ぎる67歳の生涯を閉じた。癌を患っていた。自分の人生を振り返り、「私は聖女と呼ばれ、やがて悪女になり、また聖女と呼ばれるようになった。一つの人生で味わうには十分すぎるわね」と語っている。
 今秋、「メイクアップを必要としない極めて自然体で他に類を見ない清楚な美人」と再会したのは澁谷文化村の映画館である。「愛に生きた女優」のサブタイトルを冠したスウェーデン映画だった。彼女自身が撮りためたホームムービー、残された日記や手紙、そして折々のインタビュー記録から浮かび上がる、家族を愛し勇気と冒険心を原動力に全力で生きた女性の姿。映画史にその名を刻む往年の大女優イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)なのである。
 その演技で人々を魅了し、私生活では女性としての誇りを貫いた彼女の生き様は、古くて新しい。世界中で愛され、また時に議論の的となった彼女は、女性たちのロールモデルであり、同時にその自由な生き様は非難の対象でもあった。
「君の瞳に乾杯」(Here's looking at you, kid.)の名セリフでも名高い『カサブランカ』(1942年制作)をはじめとする数々の名作に主演したバーグマンは、黄金期のハリウッドでもその才能と類稀な美貌を兼ねる傑出した存在となった。一方、当時は未だ保守的だったアメリカで一大スキャンダルを引き起こし激しい非難を浴び、以後7年間もアメリカの土を踏むことが出来なかった。
 夫と子供がいるにも関わらず、『ガス燈』でアカデミー主演女優賞に輝いた1945年には、戦争写真家で著名なロバート・キャパと恋に陥った。その数年後にはイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニとの恋愛、妊娠で世間を騒がせたが、最終的には1957年に離婚するまでロッセリーニとの結婚生活を継続させている。
 未だ「愛」を知らなかった中学生が、仄かに抱いた恋心を思い出させてくれたバーグマンに乾杯。

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