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「800字文学館」

月下美人を食う

浜田 道雄

 鶴巻温泉の家では毎年多くの月下美人が花開いたのに、熱海では3年たってもひとつも咲かなかった。
 引越し前には20鉢もあったが、多くを隣人に貰ってもらい、熱海には2鉢だけもってきた。それが10鉢にまで増えたのだから、熱海の気候があっていないわけはない。だが、月下美人は一向に咲こうとしなかった。
 それが、今年突然10輪あまりも咲いた。咲くのを心待ちにしていた家内が逝って、一年半あまり経ったころである。

 月下美人の蕾は大きく、肉厚の葉の縁から伸びた萼の先に頭をあげてぶら下がる。そして開花する日、あたりが薄暗くなると少しずつほころびはじめ、とっぷりと暮れるころ満開になって、美しく幻想的な姿をあらわす。
 いく重にも重なった白い花弁は大きく広がり、めしべは先端を長く伸ばす。花弁は透き通ってアラバスターのような艶があり、重なりあう辺りには微妙な陰影が見え隠れする。その姿はまさに「臈たけた美人」と呼ぶにふさわしい。

 たちまち、小さなベランダは甘くふくよかな芳香に満たされる。やや青臭いが、濃厚などこか南国のジャングルの夜を思わせる香りだ。
 ウィスキーグラスを片手にベランダで、月下美人を肴にしたたった1人の酒宴がはじまり、夜はどんどん更けていく。

 だが、花の命は短く、四時間ほどしかもたない。しぼんで葉の先からダラリと垂れた姿には、最早咲き誇った「臈たけた美人」の面影はない。月下美人はたった一夜の晴れ姿なのだ。

 翌朝、しぼんだ花を切りとり料理をはじめる。台湾ではスープにするというが、私は酢味噌和えにするのが好みだ。
 萼は小口切りにし、花弁は一口サイズに切り裂いて酢味噌で和える簡単な料理だ。細かく刻んだ萼には山芋のようなヌメリがあって、花弁のサクサクとした歯触りとともに酢味噌によくあう。日本酒で味わうとなかなか美味い。

 後日、月下美人を食べたと話すと、友人は途端に「えーッ! 食べちゃったの?」と咎めるような口調になった。

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