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「800字文学館」

シブの思い出

安藤 晃二

 ボルネオ島と言えば、カリマンタンとも呼ばれる広大な島、その大部分がインドネシア領である。昔、その北端にへばりついた東マレーシアのサラワク州を訪れた事があった。

 サラワクには首都のクチン、シンガポールから40分のフライトで到達する。シブ、ミリと主要な町が点在するが、これらの地に繋がる道路はない。大熱帯雨林から流れ出る大河や海岸沿いの沼沢地、という地理では、移動はすべて飛行機である。クチンでは、駐在員Y氏が孤軍奮闘していた。当時、南洋材取引や、ビンタンのLNG開発プロジェクトなど、会社が取り組むには十分な商材があった。

 折しも、シブの港の造船会社からの商談がありクチンから飛行機で向かった。Y氏の計らいで、中国系の秘書のシーさんが私に同行した。シブまでの30分のフライトの中の会話で、彼女の年老いた病身の母親がシブに住んでいるとがわかった。更に「壁に耳なし」としか思われない無頓着さで、シーさんの政府攻撃が始まった。マレーシア政府のプミ・プトラ政策は中国系住民をみじめな境遇に追いやり、ブミ・プトラ(マレーの土地の子)に偏重した教育補助など、優先政策を行っている、口角泡を飛ばして、中国人の不満が爆発した。

 その晩、華僑の取引先から食事の招待を受けた。豪華なレストランは一見してそれと判る、天井が楕円形に窪んだ英国ジョージアン様式であった。それを中国人が誇らし気に説明するのも面白い。サラワクは、十九世紀半ばから百年間、インド出身の英国人「サラワクのラジャ」、ジェームズ・ブルックが開祖となった白人王国が三代続いたというから驚きである。一旦実家に帰ったシーさんが、その宴席に現れた。彼女の上品な風貌と金糸の刺繍に大胆な深紅のチャイナトレス姿、場の雰囲気が一気に輝いた。サラワク河特産の大魚のボイルが中国風の香草にまぶされて出された。油の乗ったこの淡水魚の美味は生涯忘れる事ができない。三十五年前の思い出である。

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