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「800字文学館」

高井先生と『北の河』

内藤 真理子

 奈良県をドライブしている時に、友人から高井有一の訃報を知らせるメールを受け取った。彼女とはカルチャースクールで高井先生の講座を一緒に受講していた。メールには『北の河』をまた読み返しています、とあった。先生が芥川賞を受賞された本で、共に何度も読んだり、書き写したりした珠玉の本なのだ。
『北の河』は私小説で、先生の母親が入水するまでの二年間を当時十五歳だった先生が振り返える形で書かれている。
 東京の山の手で何自由なく暮らしていたが、父親が病に倒れ亡くなってしまう。その上、戦争がひどくなり家を焼かれ、戦渦に追われて已む無く、亡くなった父親の実家がある角館で、母子二人、厄介になることになった。
 終戦になり、母は東京にある実家を頼ろうとしたが断られてしまう。というのがあらすじだが、十五歳の少年には、このような悲惨な現状も周囲の人との交わりも、父の死さえ、母の庇護の中での出来事で、母さえいればそれで良かった。
 そんな少年の目で見たものは、情緒的でなく、事実をそのまま緻密に鮮明に描写されていて透明感のある美しい風景を浮き上がらせる。
 だが、慣れない東北の暮らしに不安を募らせる母の行動は異常で、それに対して少年は、容赦のない目を向ける。
『それは少年期から抜け出ようとする年代の誰もが持つものではあるが、私の場合、当時の母の心の状態が、他の人と大きく異なったものを齎したに違いない』と三十五歳になった作者が小説の中で書いている。
 そして、母の死。
 冷たい雨の中、川の中洲にうつぶせに置かれた母を見たいと思って、仰向けにして貰った。母の顔は押し潰され無残だった。

『北の河』に描写された刻み込むような美しい情景は、母との終わりの日々に少年が母に向けた非難の目を、母に対する最期の甘えだったことに気付いて、やっと描くことができたものなのだろう。
 ドライブの途中、当麻寺の曼荼羅を見た。
 この小説は、高井有一が紡いだ曼荼羅なのだと思った。

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