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「800字文学館」

没後150年坂本龍馬展

都甲 昌利

 奈良の正倉院展を見学した後、京都に立ち寄り京都国立博物館で開催中の「没後150年 坂本龍馬展」を見てきた。

 この展示会の主たる見ものは、龍馬が残した多くの手紙。現存する百点のうち七十点である。一部を思い出すままに記してみる。
 生涯の信頼関係を築いた親友((姓名失念)や桂小五郎他との時勢をめぐるやり取りで明かされる龍馬の「現実と日本の未来を見つめる視線」は正確な情報と分析をベースに、実に的確だ。
(彼の筆跡も力強く躍動的。姉の乙女に宛てた近況を知らせるユーモラスな文章は笑いを誘う。
「この頃は軍学者勝麟太郎先生の門人になり、ことのほか可愛がられ候・・・少しエヘンの顔をし、ひそかにおり申し候。エヘン、エヘン」。勝海舟が創設した神戸の海軍操練所への資金援助を松平春嶽から千両借り入れたことなのか。
 龍馬の恋人だった加尾の兄土佐勤王党の平井収二郎が切腹させられた事件について、「平井収二郎のことはまことにむごい。妹の加尾の嘆きはいかばかりか」と書き、またその同じ手紙で、幕府が異人と内通し外国船を修理していることについては怒りを込めて「日本を今一度洗濯いたし申し候」との有名な文言がある。
 お龍と共に刀傷を癒すため霧島を訪れた日本最初の新婚旅行と言われる、イラスト入りの現代的な手紙もほほえましい。

 しかし私にとって一番印象に残ったのは龍馬の愛刀「陸奥守吉行」である。龍馬は北辰一刀流の剣の達人なのに多勢に無勢、刃が数か所欠けていた。龍馬が暗殺された京都、近江屋の部屋に飾られていた「梅椿図」の掛け軸には僅かではあるが血痕が黒く残り、軸の傍で龍馬が惨殺された無念の想いを、現在に至っても伝えている。

 龍馬の展示物からは、彼が率直で我欲無く大局観を持つ、聡明快活な若者であったことが感じられる。道半ばだったにせよ、その思いはひしひしと我々の胸に迫ってくる。幕末を駆け抜けた龍馬の人気は今も高い。

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