鐘を鳴らしたのはジョン・ダン
ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の題名は17世紀に作られた詩から引用された。詩の作者はジョン・ダン(1572年~1631年)、シェークスピアの八歳下の詩人、作家、そして信仰篤い司祭でもあった。
若い頃には、肉の喜びを謳歌しながら、魂の交わりを官能的に詠った。晩年には、深い宗教的な思索を詩の中で展開し、生涯を通じての神へのこだわりを、自らの死の予感に震えながら詠ったのだ。
「誰がために」の言葉は、『不意に発生する事態に関する瞑想』という詩の一節にある。
―― 戦場で鳴り響く鐘の音は、戦火に倒れて死んだ者のためにのみ鳴るにとどまらない、それを聞く者すべてのために鳴るのだ。 ――
ジョン・ダンはカトリックの家の生まれ。後にイングランド国教会に改宗しその司祭になるまでは、宗教的迫害を経験した。優れた教養と詩の才能にもかかわらず、長く貧困の中で生きた。その半生は波乱万丈の人生であった。24歳の時にはイギリスの軍艦に乗船し、スペインの無敵艦隊を相手の海戦にも参加しているのだ。
若い頃には天衣無縫に快楽を謳歌し、恋愛至上主義の詩を詠んだ。その作品の一つ『列聖加入』では、「僕に恋をさせてくれ、君が出世街道を選んでお偉方に頭を下げてやりたい放題やるのは君の勝手だけれど、僕には恋をさせてくれ」と詠い、形而上詩人の先駆者となる。
同時代の文芸批評家ジョン・ドライデンは、「彼は風刺詩だけでなく自然さのみが支配すべき恋愛詩の中でも空論、抽象論を好んで用いた。そして、恋の優しさで女性の心を引きつけ楽しませるべき時に、哲学の素晴らしい空論で女性の心を困惑させた」と批評した。
才気あふれる言葉の達人だから、大胆な機知と複雑な言語を駆使した恋愛詩を書いた。17歳の少女と恋仲になり、結婚して12人の子を儲けたが、その妻が33歳で亡くなってからは独身を通す。国教会の司祭になり、最終的にはセント・ポール大聖堂の首席司祭にまで任ぜられた。言葉の達人は説教の達人にもなったのだ。