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「800字文学館」

この世もあの世も酒飲みだらけ

斉藤 征雄

 YouTubeで落語の「親子酒」を聞いた。しかも五代目志ん生、五代目小さん、十代目馬生、三代目米朝、二代目枝雀と立て続けにである。
 さすが名人ぞろいなので、上手い上にそれぞれ個性があっておもしろかったが、中でも笑わせるのが枝雀。さびた雰囲気はないが、命がけで笑わせる芸は枝雀の右に出る者はいない。聞き終わったあと何故か「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな(芭蕉)」の句が浮んだ。

 噺は、親子でそれぞれ酒を飲んで酔っ払い、父親が「おめえみてえな顔が二つも三つもにみえる奴には身代は渡せねえ」と言うと、息子が「こんなぐるぐる回る家をもらったってしょうがねえ」と言い返す例のサゲ。
 この噺、マクラ、本題ともに酒飲みで埋めつくされる。そこで語られるさまざまな生態が笑わせる。笑いながら、なんだか自分のことを言われているようでくすぐったい気もする。まあたわいもない噺なのだが、人間と酒との切っても切れない深い縁をしみじみと実感させる噺ではある。

 酒との縁は、仏教の世界も例外ではない。
 仏道を目指す者には、自らを戒める五戒というものがある。不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。酒を飲まないことも仏道修行の要件である。酒を飲むこと自体が問題ではなく、他のことを誘発するとみなされているようだ。
 かくして禅寺などには「不許葷酒入山門」の石柱(戒壇石)が建っているのである。

 しかし僧侶も人間、どうしても酒と縁の切れない者も出てくるのは自然の摂理である。そこで彼らが、ない智慧を絞って考えたのが酒を般若湯と呼ぶこと。般若は、パーリ語で仏の智慧を表わすパンニャーの音を漢字表記した語である。仏の智慧を修する者が、智慧の湯を飲むのだから問題あるまいとの言い分。仏の智慧とは程遠いあさはかな智慧ではあるが、酒飲みの気持ちとしては解る。
 こうした連中も皆、そのうち仏の慈悲に救われて成仏するのだから、あの世も恐らく酒飲みで溢れているだろうなと思う。

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