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「800字文学館」

時代の色合い

皆川 和徳

 何か明るい話を書こうと机に向かったが、何故か小学校高学年時代のことが思い出された。私の小学校高学年時代といえば、昭和三十年代前半である。当時、授業として映画鑑賞の時間があった。その映画が本当に暗かった。親の無い兄弟姉妹が、貧しさ、差別、迫害を乗り越え、力強く生きていく話が殆どであった。上映中暗い場内、女の子がすすり泣いたり、鼻をぐずつかせる音がする。映画が終わり、明るくなると、生徒達が目を赤くしている。何故、文部省は殆どの生徒が泣くような暗い、悲しい映画を授業として見せたのだろう。思い返しても、不思議に思う。
 昭和三十年代前半は皆が貧しかった。世の中が暗い色調で覆われていた。今は貧しく、つらいことも多いが、真っ直ぐ努力していけば明るい時代へ繋がる、と少国民に訴えたかったのだろう。青年が暗い表情で髪をかき上げ、人生を、文学を、政治を語る方が格好良かった。そのように、社会全体の色合いが暗かったのは、昭和四十年頃迄ではないか。

 社会の色彩の基調が明暗入れ替わり、明るさが顕著になったのは、全共闘活動が後退局面に入った、昭和四十年代後半ではないか。自分達は、不幸と思い込んでいるだけで案外幸福なのではないか。「政治の貧困」の割には豊かになったし、文学は社会や人生の難問に役立たないし、女性も「花のいのちは短くて悲しきことのみ多かりき」という言葉に共感は出来なくなっていた。それが、今日迄のお笑いブームに繋がってきた。皆で「笑っていいとも」となった。面白い男がもてはやされるようになった。一方で「マジな議論」は野暮とされ、弱さ、悩みは笑いの仮面の内に隠すようになる。でも、よく考えると、人生がそんなに明るく面白い訳が無い。明るく振る舞うことには限度がある。今、明るく振る舞うより、立ち止まって考える生き方も大事だろう。社会は明るさも、面白さも必要だが、それだけの単調な色合いではない。

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