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「800字文学館」

チケットレス時代

都甲 昌利

 1960年、航空会社に入るとまずやらされたのが予約発券業務である。当時はコンピュータなどなく、すべてが手作業であった。航空券にはカーボン紙が付いていて、発着地、乗客の氏名を書き入れる。有価証券であり、書き損じてもやたらと処分できない。新入社員はよく間違えて上司から怒られた。
 国際線の世界一周チケットなどは発着地点が多くなり分厚く、ボールペンで思い切り強く書かないと最終頁の字が薄くなり読めなくなる。団体客の航空券発行も大変で、徹夜になることもあった。
 予約は搭乗座席数、乗客の氏名、連絡先を記入できるペーパーで管理する。中華料理店でおなじみのターンテーブルに予約表が縦に並んで指定された航空便を選んで記入してゆく。座席数と予約人数が一致すると満席でこれ以上予約は取れない。
 しかし、キャンセル客を見込んで「オーバーブッキング」をする。キャンセル客が出ない場合は空港のチェックイン・カウンターは地獄を見る。友人の話では、当時の岸信介首相一行を危うく積み残す事件もあったらしい。
 1964年に国内線電子予約装置が導入され、1967年国際線予約装置JALCOMによって予約業務は楽になった。

 あれから50年、カードとパソコンの時代。クレジットカード決済付きのJALカード(JALICカード)かANAカードを所有していれば、昔の複雑な手続き無しで搭乗できる。「JALタッチ&ゴー・サービス」は便利だ。パソコン所有者は自宅で手続きできる。
 例えばJALのホームページを開き、希望する便を予約する。料金、日時、座席選択を自宅で済ませて空港に行く。15分前までに保安検査場に直行。検査場の「ピット端末」にタッチすると搭乗口案内の小紙が出てくる。示された搭乗ゲートで搭乗口に向かいカードをタッチして乗り込む。
 航空会社にお任せだった手続きが消費者の多様な選択に任されるようになった。入社時には想定外の世の中になった。

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