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「800字文学館」

耳が遠くなった

斉藤 征雄

「お爺さんや、いま、うちの前をお通ンなすったのは越前屋の源兵衛さんじゃないですか」
「いいや、いま、うちの前を通ったのは越前屋の源兵衛さんだよ」
「そうか、あたしゃアまた越前屋の源兵衛さんかと思った」

 落語の小噺ではないが、最近耳が遠くなったことを実感する。人間ドックの結果は三年連続で五段階評価のC判定(経過観察を要す)だから、そんなにひどい難聴ではないものの健常に聞こえていないことは確かである。
 それが最もよく判るのがテレビである。普通の音量では、言葉がよく聞き取れないからドラマなどを見ても筋がわからない。だからといってボリュームを上げると、大きすぎるだの近所迷惑だのと怒られる。ただし、テレビの音量の問題は二年前に解消した。通販で「耳元くん」を買ったのだ。テレビの音を電波で送って耳元で増幅してくれるすぐれ物である。今やこれ無しではテレビを見られない。

 広い会場の講演や会議も苦労である。音は聞こえているが、言葉として聞き取れないことがたまに起こる。一方的に聞くだけならなんとなくやり過ごせる。困るのは自分に質問などがあった場合である。曖昧な理解のまま応じて、トンチンカンなことを言ったりしないか心配になる。
 一対一の会話でも聞き取れないことがある。特に酒が入るとボア~とした感じでひどくなる。どうしてもわからないときは聞き返すが、あまり何度も聞き返すのも気が引ける。酒席で二、三人離れた席の人の話は、殆んど聞き取れないことがある。大切な情報が入らないことにもなりかねない。
 カミさんとの会話は今のところ痛痒を感じない。聞こえない方がむしろ好都合な場合もあるのだ。
 カラオケその他音楽関係も、聞く、歌う(謡う)両方とも大丈夫のようだ。

 自分の身体の機能が失われていくことに寂しさは感じるが、加齢現象なら受け入れるしか仕方がない。
 今日は冬至、もうすぐ新しい年を迎える。
  門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし  一休

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