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「800字文学館」

年取り魚考

大月 和彦

 かつては大晦日から元旦にかけての「年取り」は、最も大切な年中行事だった。歳神(正月様、歳徳神)を迎えるため、身を清め一晩中眠らず待つ風習があった。
 このハレの日のために特別に作った料理を歳神棚に供え、同じ料理を家中そろって食べるのが年取りの中心行事だった。
 翌朝の元旦には、前夜歳神に供えた膳の残りを文字通り雑煮として食べたのである。

 年取りの料理には、年取り魚(正月魚)として海の魚が欠かせなかった。海から離れた地域では塩ブリや塩サケが用いられていた。
 全国各地に残るこの風習は、大晦日は新年を目前に身を清めるときで、そのためには俗世界のケガレを落とさなくてはならない。落とすには潮に浸るのが本来の形だが、海の魚を食べるのはこの行為に通じる、と考えられていた。

 年取りに食べる魚は東日本ではサケが、西日本ではブリだった。
 東と西の境目がフォッサマグナ ― 糸魚川・静岡構造線とされる。境に当たる信州では糸魚川から松本に通じる糸魚川街道の東北側では新巻サケが、西南側では塩ブリだった。
 新巻サケは内臓を除いたサケの腹に大量の塩を詰め、外側にも塩を擦りつけて一定期間寝かせた塩蔵のサケで塩辛さが飛びぬけていた

 年末になるとデパートなどで新巻サケが売り出される。東京上野のアメ横での新巻サケの派手な売り出しは風物詩になっていた。大阪の黒門市場ではブリの大売り出しが行われていた。
 最近アメ横では、新巻サケの代わりに刺し身用のマグロやカニなど高価な魚が圧倒的に多くなったという。

 高血圧予防の減塩キャンペーンが広がり、食べ物全体が甘口志向になった。塩を大量に使った新巻サケは目の敵にされ、生産が減っている。スーパーに並ぶサケの切り身も、甘塩と中塩が多くなっている。
 離れて住む子どもが、年始に訪ねてくる代わりに市販のお節料理を送ってくるようになってから、わが家では手間のかかる料理を作らなくなった。うっかりしていると、年取り料理の主役新巻サケの切り身も忘れられそうだ。

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