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「800字文学館」

ニホニウムで思い出す化学のお勉強

志村 良知

 113番元素の名前はニホニウムと決まった。ご同慶の至りである。もっとも、研究を主導した先生によると「何の役にも立たない」そうであるが。
 113番はニホニウム、で思い出すのは昔勉強した周期表のことである。化学を学ぶには、まず元素の性質を知る必要があり、周期表を縦に横にと辿って元素の性質を系統立てて学ぶ。並びを覚えるにあたっては人智の限りを尽くしてある特殊な意味を持つように工夫する。それは昔かららしく、謹厳な教授が「これは一寸口には出せない」と、にやり笑って教えてくれなかったりする。これで思考のモードが刺激されるのか、だんだん化学用語への感度が鋭敏になっていく。

 女子中学生の家庭教師で「かほうちかん」「すいじょうちかん」にもやもやする危険な日々、有機化学の時間、先生の「きゅうかくちかん」の声にはっとする。「立体的に突出した官能基が付いた核を別の官能基が攻撃して置換する場合、邪魔になる突起物を避け、反対側からバックアタックする。置換の過程で生成物は核を中心にのけぞるように反転する」。この目も覚めるような説明に男同士顔を見合わせる。ホモジニアス、ホモジナイズ、ホモカップリング、ローン・ペアなどという言葉が浮かんでは消える。
 ドイツ語のメスツィリンダー、メスコルベン、などにも一寸凄味を感ずるが、物理や化学では励起と訳される英語のstimulate も辞書を引くと素敵な訳が出てくる。それに励起され、異性体、パイ電子、パイ結合、メスアップ、インサーション(反応)…、下宿で一人レポート作成中、深夜放送のパーソナリティにも煽られて妄想はエスカレートする。

 会社の実験室でも「マス(スペクトル)はどうだった」「(ピークが)出たよ。気持良く」などと他の部署なら人格破綻者確定の大声が響く。ホールピペット(スポイト)に付けるゴムは乳豆というが、これを知ってか知らずか購入伝票に書く奴がいる。「乳頭、色ピンク、直径10ミリ、10個」。

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