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「800字文学館」

世俗のままで

首藤 静夫

 徒然草第十一段に紹介されている「物欲」についての話。
 神無月のころ山里に分け入った兼好法師、世捨て人の住まいであろうか、閑寂の趣のある住居に行きあい共感を覚える。
 だが、ふと庭の柑子(みかん)の木を見ると、たわわに実った木の周りを厳重に囲っている。興ざめの兼好さん、「此の木なからましかば・・」と主の世俗臭に落胆する。

「これでどうよ!」
 三が日の過ぎたころ、庭先で何やらやっている妻の自慢げな声。促されて硝子戸をあけた。妻は千両や十両の赤い実をヒヨドリから守るための細工を施していた。棒きれで雪吊りのようなミニ円錐形を作り、一応の囲いとしている。
「もう大丈夫よ」
 ヒヨドリは一年中どこにでも見られる、あのやかましい鳥だ。特に秋、冬は活発で群となり実を食いつくす。近所でもピラカンサや南天の実がすでにやられた。わが家の実は、木がまだ小さいためか後回しになっているが、襲来は時間の問題だ。
 野鳥が減った。メジロ、ジョウビタキ、ツグミなどはこの時期まだ見かけるが、カラ類はシジュウカラ以外には滅多にみない。スズメやヒヨドリでもいいからわが家に来て、実をついばんでくれるなら結構ではないかと思うのだが、妻は違うらしい。赤い花や実は冬場には貴重で、しかも心をこめて育てたものを取られるのが癪のようだ。
 数日後、鳥の影が居間から見えた。妻が急いで窓硝子を開ける。一匹のヒヨドリが円錐に立てた棒に停まって千両の実をついばんでいる。ホバリング(空中捕食)ができないヒヨドリには、この棒が却って幸いしたようだ。細工が裏目に出て、妻はすぐに棒を解体し、とられる先に切り花にしてしまった。
 数年前、庭の水槽のメダカがとられたことがある。鳥か動物か人間か、犯人は判らずじまいだった。それ以来、夜になると水槽に覆いをし、門扉にチェーンと鈴をつけて物々しい警護をしているのがわが家である。
 兼好さんが見たら何とのたまうであろうか。

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