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「800字文学館」

格安旅行

中村 晃也

 ソラシドエアー、ピーチエアー、バニラエアー、春秋航空などの新しい航空会社の参入で、サービスや安全性を考慮しなければ、かなりの安値で海外旅行が可能になった。「バンコックまで往復三万円でいってきました」などと聞くと触手が動くが、「台湾一周五万円のパック旅行で、現地に着いた途端乗ってきたトランスアジア社が倒産。観光気分が吹っ飛びました」などの話を聞くと二の足を踏む。

 数年前、正月の新聞で『十万円でトルコ一周十日間』の旅行広告を見つけた。開催日は三月なので、内容も精査せず安さにつられて、取り敢えず仮予約だけしておいたが、あっという間に出発日になってしまった。
 アブダビ経由でアンカラまで、使用機はエテイハド航空。機内は、こじんまりとした清潔な雰囲気でそう悪くは無かった。
 トルコではトロイ、エフェソス、パムッカレ、カッパドキアを巡り、イスタンブールのトプカプ宮殿のハレム跡を見て大満足。正直十万円ではお得だと思った。

 帰りの飛行機で、入れ歯を嵌めたまま寝入ったことに気が付いた。医者からインプラントを勧められたが、当時数十万円かけた直後に亡くなった友人の轍を踏むまいと、十万円でしつらえた大事なシリコン製の片入れ歯だ。
 半分眠ったままそれを外し、セーターの首許から手を入れて左の胸ポケットに納めた積もりだった。
 一眠りして成田まであと一時間という時点で軽食が出る。入れ歯を嵌めようとしたが、胸ポケットにある筈の物がなかった。
 モゾモゾと思い当たる場所を探し、就寝途中にいった覚えがあるトイレも探索したがあるわけがない。用便中に入れ歯をはずす筈もないのだから。
 不審気な隣席の人に気兼ねしながら、座席シートの隙間や足許も丹念に探した。十万円を惜しんで、着陸後も最後まで席に残り、ツアーのコンダクターにも話をして、機内清掃後の最終チェックが済むまで粘ったが無駄であった。

「格安で楽しんできたぞ!」と妻に自慢したが、入れ歯のことには触れなかった。

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