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「800字文学館」

風化

平尾 富男

 風化させてはいけない今世紀最大の悲劇の記憶の一つに、9.11同時多発テロがある。

 2005年4月、「グラウンド・ゼロ」と名付けられたニューヨークの跡地に佇んだことを思い出す。30年以上も前に、この場所にあった双子の貿易センタービルが、当時の私の日常風景であったことが甦ってくる。
 人を殺傷することは勿論、自殺さえも禁じている戒律の厳しいイスラム教の聖典コーランを信じているテロリストたちが、何故6,000人もの民間人を殺傷することになったテロ行為に走ったのか。テロ組織から送り出されたテロリストたちには、アラーの神に喜ばれる(と彼らが考えた)行動ならば、全て神に許されるという暗示に掛けられたのだろうか。

 敬虔なイスラム信者にとって永遠に快適な生活は、天国でこそ得られるものであって、アラーから課された現世での厳しい生活に耐えてはじめてそのご褒美として与えられるものだと教え込まれているという。現世で快適な生活を送ろうとは思わないで、ただひたすらアラーに喜んでもらいたいと願って生きていく。いや、現実に多くのイスラム教徒は現世での快適生活を望むべくもない状況におかれているから、コーランの教える「天国」に行けると信じることしか他に救いはないのだろう。そのコーランの描く天国に行けば「魅惑的な処女が美酒を杯に注ぎ、永遠の抱擁を約束」してくれる。とすれば、自爆テロを含む多くのテロ行為は、貧しく苦しい彼らの現世の生活から逃れる手段として、未来永劫に止むことはないのではないか。

 当時のアメリカ大統領は、サダム・フセインがこの同時多発テロに関与したという疑いを口実に、イラク戦争を起こした。フセインは倒れたが、果たしてフセインがこの悲劇に関与したかどうかの真偽の追及は忘れ去られた。アメリカにとって、いやブッシュ政権にとっての本心が、イラクに傀儡政権を作り、中東の石油利権に絶大な利権を確保することであったという「疑惑」追及も風化してしまった。

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