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「800字文学館」

蘇民祭 ― 黒石寺と信濃国分寺

大月 和彦

 旧正月の8日に奥州市水沢区の黒石寺で、奇祭として知られる蘇民祭が行われる。
 8日の深夜から翌日明け方にかけて、蘇民将来の護符を手に入れようと裸の男たちが激しくぶつかり合う勇壮な祭りだ。

 数年前、深い山中に建つ同寺の薬師如来木像を拝観したことがあるが、厳冬の真夜中に行われるこの行事は見ていない。
 江戸時代の旅行家菅江真澄の日記で当時の蘇民祭の様子を知ることができる。

 長さ10㎝ぐらいの木札の護符が入った袋を、山伏が本堂前に集まった群衆に向かって投げる。素っ裸の若者が護符を奪おうと押し合い揉み合う。護符を手にした若者たちは雪を踏みしめて走り、小川の氷を破って身を沈めるなど、世にも珍しい争いの祭だと記す。
 昔は下帯をつけていたが、ある年、護符が前垂(さがり)の紐に絡んで死者が出たことがあり、それ以来素っ裸になったという。

 蘇民将来の信仰は、上田市の信濃国分寺の史料によると、祇園精舎の守護神牛頭(ごず)天王が、蘇民将来という貧しい男に一夜の宿を借りた恩義に報いるため、その子孫が疫病の難から免れる「蘇民将来」の符を与えた故事に由来する。

 この信仰は津軽の岩木山神社や京都八坂神社など各地に広がっていて、招福除災、悪疫退散、五穀豊饒などのお守りとなっている。

 1月7、8日に信濃国分寺で開かれる八日堂縁日は、蘇民将来の護符が配られる祭として知られている。
 近郊近在から集まった人たちが、8日の朝境内で配られる護符を競って求める。
 ここの護符はドロヤナギの木をナタで六角柱状に削り、頭部にカサと呼ばれる屋根が彫られている。側面には朱と墨で「蘇民将来子孫門戸也」の字を書き入れてある。
 カサと側面の余白には思い思いの模様や絵が描かれていて、民芸品としても評価され、根強い人気があるという。
 護符は国分寺が作るほか、地元農民たちが組織した「蘇民講」のメンバーが農閑期の仕事として作り、当日境内で頒布している。

 持ち帰った護符は戸口や神棚などに供えられ一家を見守ることになる。

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