匈奴とイスラム国
四十年以上前、ロサンゼルス郊外にあるTRW社と宇宙の仕事を始めた頃、相手の技術者に外見が日本人らしい人がいた。全く日本語を話さない。メキシコ出身とのこと。また、別の技術者の家でアジア人的風貌の奥さんに会った。ハンガリー出身とのこと。いずれも、古い時代にベーリング海を渡ったり、東の遊牧民の名残が引き継がれてたのかと大きな歴史の流れを感じた。
紀元前一、二世紀頃の漢の時代に匈奴は北の草原に住んでいた。司馬遷は漢と匈奴の戦いや交流を史記に記している。匈奴とは酷い漢字を充てたものだ。文字文化を持たなかった匈奴の足跡は漢書に頼る以外にない。漢との闘いの後、西方に押しやられ、再び歴史上に現れるのは三七六年に黒海沿岸にいた西ゴート族が東から襲ってきた強力な騎馬軍団に襲われたことがローマ帝国に報告された。そして、民族大移動の切っ掛けになった。彼らはフンと言われ、それが匈奴と同じであるかは諸説あり確定はしてない。しかし、遊牧民の集団であることに間違いはない。
中世にユーラシア大陸を征服した遊牧民族のモンゴル帝国の行動規範を参考にするなら、遊牧民は中原に住む農耕民族と異なり、耕作は一切せず、工芸品を作らず、職人ごと奪い、彼らは勇敢な遊牧生活に誇りを持ち、征服民族に対して激しい混血を仕掛けた。匈奴も同じ遊牧民なので、漢の時代からローマに現れる三、四百年間に匈奴の血筋がどのように維持されたかは知る由もない。民族大移動やモンゴル帝国の時代に西側にモンゴロイドの血が伝わったことは確かなようだ。
現在でも主として砂漠の民からなるイスラム国(IS)にその片鱗を見る。彼らはかつての農作物や、技能者の代わりに石油と人質を収奪する。馬と弓矢の代わりに、車とカラシニコフが収奪の手段になっている。しかし、現代は知識が最大の価値で、それを生かす都市で近代的な生活をしている。昔の遊牧民的収奪によって、近代的な社会を築くことはできないと思う。
参照:司馬遼太郎 ロシアについて 文芸春秋社