野球ゲーム作りに熱中する少年
野球帽をかぶった少年が教科書を入れた布袋とグローブを肩のバットに刺し、得意気に小学校へ通っていた。戦後間もなくの頃で帽子は母親の手作り、グローブは父親のお古で、バットだけが祖母が買ってくれた新品である。母親も祖母も戦前からの野球ファンだった。
彼は学校代表チームの4番バッターで、将来は巨人軍に入る積りでいる。お年玉に貰った少年雑誌に三原監督考案の野球カードゲームが付いていた。2チーム分18人の有名選手のブロマイドの裏に、①から⑥までの順番を付し、アウト、ヒット、二塁打、本塁打などと記されている。対戦者はインニング毎に交替でサイコロを振り、盤上で自軍のカードを双六のように進塁させていく。
少年は少し試したが、直ぐにその改良に取り掛る。まずカード数を8チーム分に増やす。つぎにサイコロを2個とし、その目の和に対応させ順番を②から⑫までに増やす。しかもイ列とロ列の記載欄を設け、相手投手の巧拙によりその列を使い分ける。記述もより詳しくサードゴロ、ライト前ヒット、三振のように改める。カードの表に顔写真を貼り、その下欄に守備、走力、バントの巧拙ランクを記入する。投手のカードには投球の巧拙ランクも追記する。
遊び方は守備側が先ずサイコロを振り、投手の巧拙ランクと目の数から打者カードで用いる列を決める。つぎに攻撃側がサイコロを振り打撃の結果を出す。再び守備側のサイコロで失策がないかを確かめる。
この改良で選手ごとの打率、長打率、防御率、失策率などの模擬が可能となり、大人も楽しめるゲームとなった。またゲーム作りで少年は知らぬ間に統計や確率の感覚を体得していく。巨人軍に入る夢は直ぐに破れるが、長じてその経験は機械部品の強度試験、生産管理、数理統計学の社会科学への適用など、種々の場で生きていく。
78歳になる少年は今のITが当時有ったらと残念がる一方、一寸法師のような野球アンドロイド・ロボットが早く実現しないかと心待ちにしている。