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「800字文学館」

沖縄(1)  領有権

志村 良知

 先の大戦時、米国の沖縄認識は「島津藩の武力侵攻まで遡る帝国主義的侵略の結果で、古来の日本領ではない。しかし独立した国でもない」というものであった。従って、沖縄戦開始と同時に日本からの分離を宣言、降伏調印にも日本政府は関与させなかった。しかし、カイロ宣言で領土的野心は無いと大見栄切った手前、米国52番目の州とするわけにもいかない。戦後、沖縄はアメリカ軍政下、沖縄民政府として領土と国旗や議会を持つ米国の隷属国家になった。

 大日本帝國を滅ぼし非武装化すれば極東に恒久的平和が来る、というマッカーサーの夢はすぐ破れた。終戦から2年、1947年半ば、日本には戦争放棄を謳った憲法を交付させ非武装化したのに、ソ連はヤルタ密約を根拠に千島に居座って北海道を窺う姿勢を見せ、沖縄の後方では毛沢東の勝利で中国大陸の共産化が確実になった。日本を非武装のお花畑にはしておけない。大の共産党嫌いのトルーマンの下、国防省は在日米軍の強化とともに沖縄の信託統治領化を主張。しかし信託統治はカイロ宣言にもとる。世間体を気にする国務省は悩んだ。
 この時日本側から「領有権は日本にあるまま、施政権を米国に長期リースする」というアイディアが出された。昭和天皇のお考えであったと伝えられる。米国にすれば、極東委員会も認めていない領有権を担保に沖縄と丸腰の日本を守れという、足元をみた「利己的」な言い分である。しかしこれは、沖縄を渡してはいない、という敗戦国日本の沖縄領有宣言でもあった。
 1950年の朝鮮戦争勃発で極東平和は完全に破綻した。米国は日本と沖縄から動けなくなり、対日講和に先立って講和7原則を押しつけてきた。その内容には琉球列島の国連委託の信託統治領化、その国連への日本の加盟が含まれており、戦勝国中米軍のみの日本本土駐留を認めさせるものだった。
 これらは、米国の隷属国家としての沖縄民政府の継続と、日米安全保障条約を後世に残すサンフランシスコ講和条約となっていく。  (続く)

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