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「800字文学館」

沖縄(2) 米軍基地

志村 良知

 1951年のサンフランシスコ講和条約は、対日講和7原則通りの内容となったが、沖縄の信託統治領化は条文になかった。そもそも沖縄は無視された。
 戦後処理から置き去りにされた沖縄にとって条約の効力発効の1951年4月28日は「屈辱の日」である、という説がある。しかし、翌29日の「琉球新報」「沖縄タイムス」とも、日本の国際社会復帰を素直に祝福していたという事実もある。
 講和条約と同時に調印された日米安全保障条約が発効するが、沖縄の米軍基地は米軍政下にあり、沖縄返還までこの条約とも後の集団的自衛権の思想を持つ六十年安保とも関係なかった。

 沖縄が日本復帰を強く望んだこともあり、1962年ケネディ政権は日本の沖縄領有権を認めた。64年東京五輪の聖火は空路那覇で日本領に入り、日の丸の熱烈な歓迎を受けた。そして1972年5月、領有権と施政権が日本に復帰した。時代は冷戦の真っ只中でベトナム戦争も続いていた。誰もが無理と思った沖縄返還であった。この功績で当時の総理大臣佐藤栄作は74年ノーベル平和賞を受賞した。「戦争で失われた領土を平和裏に返還を実現させた功績」がその理由だった。この受賞は歴史上極めて希有な偉業への評価である。ただ佐藤は駅伝のアンカーにすぎないが。

 復帰により沖縄の米軍の立場は日米安保条約に基づくものとなったが、よく知られているように国土の0.7パーセントの沖縄に戦闘部隊を中心に米軍基地の74パーセントが置かれたままになっている。
 沖縄県知事公室による「平成27年度地域安全保障に関する県民意識世論調査」では、多数意見を集約すると、中国には親近感は無く、アメリカに親近感を持ち、日米安全保障条約の意義も理解しているのに、在日米軍には反発し、事故の危険と犯罪者の温床である米軍基地は沖縄には要らない、とする姿が浮かぶ。
 ではなぜ米軍基地が沖縄に集中するのか。その理由は極東情勢の地政学的考察なしには理解できない。

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